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スマホに届く知らない誰かの日常が わたしをわたしでいさせてくれた 葉山莉子(文筆家)

CREA WEB / 2024年2月21日 7時0分


編集部が注目している書き手による単発エッセイ連載「DIARIES」の第10弾。マッチングアプリを通して、スマホの向こうの誰かと日記を送り合う日々を綴った書籍『ティンダー・レモンケーキ・エフェクト』を刊行した葉山莉子さん。葉山さんは、なぜ見知らぬ人たちに日記を送り続けたのか? 日記とセルフケアの繋がりに着目したエッセイです。

「どうしてTinderで日記を送ろうと思ったんですか?」

 わたしは「日記」という名前でTinderに登録して、プロフィール欄に「日記を送ります。日記を送ってください」とだけ書いて、日記を交換する相手を探していたことがある。そのとき、日記を送った相手からいちばん聞かれた質問がそれだった。

「日記」になる前のわたしは、だれとマッチしても疲弊し、チャットだけのコミュニケーションに限界を感じていた。女ということがアドバンテージになるのか、マッチすることはたやすかった。けれど、安心して会話を進めていけることはほぼない。だって、いつだれに攻撃されるかわからない。セックスするのしないのって、性的なジャッジに突然さらされて、その気がないとわかると、無遠慮に暴言をはかれることが日常茶飯事だった。
そんなうんざりすることから逃れて、やっとの思いでたどりついた相手とも、うまく会話を進めていくことができない。お仕事はなんですか? お休みの日はなにしてるんですか? 最近おすすめの映画はありますか? そういう定型的な会話を律儀に打ち返しても、相手との距離が縮まる感覚はない。お互いに興味があるのかないのかわからない、無意味なレスポンスがつづいていく。わたしのコミュニケーション力が不足しているんだろうか? わたしには想像できないだけで、このアプリのなかでも人と人との豊かな会話はあるんだろうか。心ない言葉に自尊心は削られていき、心通うような会話もできない。まるで、自分がつまらない人間だとつきつけられるようだった。

 だから、わたしはチャットという会話のコミュニケーションを拒絶した。会話をすることをやめたらいいのだ、そう思った。会話をしなければ、暴言に怯える必要はないし、コミュニケーション力の低さを悲観することもない。ただ、わたしがなにを考え、どう過ごしているのか、だれかが知ってくれさえすればいい。わたしがいまここで生きていることを知ってほしかった。画面の向こうで、だれかの存在を感じ、わたしの存在を感じてほしい。それだけでよかった。だから、わたしは日記を送りはじめた。

 プロフィールにつられて、おもしろいね、日記を送ってくださいとメッセージをくれた人がいた。そのうち、何人かは日記としてわたしに生活を晒すようになった。そこにあるのは、たわいもないそれぞれの日常だった。日記の中に、曲を聴いたとあれば、在宅勤務をしながらその曲を聴いた。夕飯につくったとあれば、それを次の日のランチにした。仕事でミスをしたとあれば、タスクから漏れてしまった仕事を慌ててこなした。愉快な飲み会であったとあれば、LINEグループで友達を飲もうと誘った。好きな相手を想ってつらいとあれば、どうにもならない人寂しさを思い出した。

 そうして日記を介して、だれに話すでもなかったそれぞれの日常が、わたしの日常にもゆるやかに流れ込んでくるようになった。ほんの少しだけ、見ず知らずのだれかと日常を重ねあわせることで、なんだかわたしは癒されていた。誰かの日記を読むことは、誰かの生活を傍らに置くことであった。日中は自分の生活に追われても、夜にスマホに届いた、それぞれの生活が光る。その光に、わたしは励まされていた。

 だれかの日記を読むことは、その人の考えを受け取り、そしてゆっくりと咀嚼していくことでもある。日記として書かれたことをただ受け取る。だって、日記はその人だけのものだ。その暗黙の了承があったから、わたしは安心して日記を書くことができたし、相手も日記を書いてくれていたと思う。

わたしは少しずつ自分自身を肯定することができるようになった

 日記には、日々何を感じて、どう生きているのかが、どうしたって反映される。自分とは相反する価値観があることだってある。会話をしているときに、そういう人だと気づいてしまったら、その事実を受け入れることができないかもしれない。その人の背景もろくに考えずに、どうしてと、反論したくなってしまうかもしれない。けれど、まずはいったん受け止めるようになる。だから日記を通したコミュニケーションであれば、人と人とはゆるやかに分かり合えるんじゃないかと、ちょっとだけ夢想するようになった。日記を読みあうことには、自分以外の人の姿を想像することができるようになる作用があると思う。

 けれども、そもそもなぜわたしはTinder上で「わたしを知ってほしい」と望んだのか。「日記」という人格をつくってまで、人との接点を必要としたんだろうか。それはわたしをわかってくれる人がだれもいない空虚さを感じていたからだった。だれといても満たされない気持ちをやり過ごすために、つねに新しい出会いをもたらすTinderがなければならなかった。

 Tinder上で、ありのままの自分を日記として書くようになって、自分の生活や考えを評価せず、ただ自分の存在を感じてもらえているという感覚が、自分はいまここに生きているんだという実感に変わっていた。わたしは少しずつ自分自身を肯定することができるようになった。ただ日記を読んで、受け止めている、そういうだれかがいることは、わたしの救いになっていた。

 満たされなさがやわらいでいくと、自分の中に感じていた空虚さは、自分の無価値感だと気づいた。ただここにいるだけでは、自分という存在はかき消されて、なくなっていくような気がしていた。自分には価値がないから、だれも自分をわかってくれるはずがないと思っていた。「なんでもいいから知ってくれ!」という枯渇感から他者の存在を求めていた。

 日記を書く前のわたしは、過去がないと感じていたからかもしれない。わたしは昔のことはよく覚えていられず、忘れてしまうことが多かった。ほかの人が話すような輪郭のある思い出が、自分には少ないような気がした。それは自分の過去そのものがないみたいだった。そのせいで自分そのものがどこにもいない気さえした。まるで、なにからも守られない無重力空間に投げ出されたみたいな恐ろしさを感じていた。過去がないと、自分がどこにいるのかわからなくなる。それは、自分不在で人生をつくっているようだった。だからそんな所在なさを埋めるために、わたしはだれかに自分の価値を認めてもらう必要があった。自分のことを理解してくれ、肯定してくれる人がいれば、自分のかたちがわかるような気がした。

 日記を書くことは、一日という単位の出来事を再構築して結びなおす、一日をとらえなおす行為だ。日記をつけると、きのうの自分が残る。きのうの自分が食べたもの、見たもの、感じたもの、話したこと、それらが残る。それらの積み重ねによって、自分ができている。自分が食べたもので体が作られていくように、自分が取り入れたものすべてが自分をつくっている。日記を書いていると、自分が経験したことが、自分のなかで積み上がっていく感覚がある。それは記憶を通して、自分という存在を強固にしていくことだった。だから、だれかに自分の価値を認めてもらう必要はなくなった。日記を書いて、ただそこにいる自分を感じることで、自分自身でこれまでの人生を肯定できるようになった。自分にはなにもない、なんてことはなかった。

 でもときに、日記は自分が見たくない自分の姿も突きつける。ずっと同じことに心が囚われていたり、しょうもない猥雑なことが頭の中を占めていたり、どうしようもない自分の姿に辟易してしまうこともある。だけど、見ないようにしたって、その自分はそこに存在している。だから、そんな自分をもし変えたいなら、それをつぶさに見ていくしかないんだと思う。もしかしたら、そんなの気にしなくたっていいと思うかもしれない。そういうことが自分には必要なことなのかもしれないし、そういう自分を認めていくことで、自然と気にしなくなっていくのかもしれない。

 わたしが日記を書くとき、心がけていたことは、日々のなにげない瞬間を書き留めること。季節の移り変わりを示す街の変化、自転車を走らせたときの肌の感覚、ふと遭遇してしまった知らない人同士の会話。買い物帰りに見る夕焼けのような、たまたま目にしてしまった美しい光景。それらを書き留めておくと、ふとした瞬間に思い出すことがある。そのとき、自分の感覚を信じられるような気がする。ある一瞬の出来事が大切な景色として残り続けることで、それがわたしを支える支柱となっていった。

 それぞれのしあわせをしずかに祈るように、わたしは日記を書いたメッセージの送信ボタンを押していた。だけど、いまだってわたしは、日記を送りあうなんて、そんな遊びに付き合ってくれた仲間たちのしあわせを祈っている。いま、わたしがわたしでいられるのは、みんなのおかげだから。

葉山莉子(はやま・りこ)

1993年、東京都生まれ。2022年に『ティンダー・レモンケーキ・エフェクト』(タバブックス)を発表。ZINEの制作を中心に執筆活動中。
X(旧Twitter)@n_i_kk_i_tin Instagram @nikki.tin


ティンダー・レモンケーキ・エフェクト

定価 1,980円(税込)
タバブックス

文=葉山莉子

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