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3度の離婚、50歳で高齢出産、放送事故で絶体絶命…ジャネット・ジャクソン(57)の波瀾万丈人生

CREA WEB / 2024年3月16日 11時0分


ジャネット・ジャクソン ©AFLO

 先日、5年ぶりの来日を果たしたジャネット・ジャクソンは、日本のアーティストにも多大な影響を与えてきた。なかでも代表格は安室奈美恵だろう。激しく踊るダンサー歌手のDNAはK-POPにも継承されており、最近ではBLACKPINKの公演でもジャネットへのオマージュを捧げる白黒スクリーンが登場していた。

 スーパースターたるジャネットだが「世界一有名な兄弟」の陰でデビューした末っ子でもある。ジャクソン家の子どもは総勢10人、そのうちの1人は、マイケル・ジャクソンだった。才能溢れる家系に生まれたジャネットの人生は波瀾万丈だ。

インタビューで聞かれるのは兄・マイケルのことばかり

 ものごころがついた頃、すでに兄たちはジャクソン5として世界一の人気グループになっていた。ジャネットにしても、厳しい父のもと、7歳の頃からナイトショーに出演したり、演技の仕事をしたりしていたが、本人は芸能人ではなく弁護士を志望していたという。しかし、兄たちが独立したタイミングで、父の意を受け歌手としてデビューする。わずか16歳の頃である。

 実際、ジャネットには音楽の才能があった。ダンスのみならず作詞作曲もできたのだ。しかし、創作の権限を与えてくれない父のもとで憔悴していき、自立したいという想いを強めた。

 そこで決行したのが、18歳での極秘結婚。「自立するには結婚」だと思い至ったのだという。相手は、同じく兄弟グループでジャクソン家としばしば比較されていた「デバージ」のメンバー。しかし、結婚式直後に夫が失踪して数時間置き去りにされたことから始まり、波乱の結婚生活がつづいた。相手は薬物依存症だったのだ。「世間知らずだった」と回想するジャネットは、1年で結婚生活を終えた。

 1980年代、父から商業的な独立をようやく果たしたジャネットは「私の人生の主導権を握るのは私だ」と宣言するアルバム『コントロール』をリリースし、キャリア初となるビルボード200首位を獲得する。政治色の強い次作『リズム・ネイション1814』によって正真正銘のトップスターとなった。

 それでも取材やファンからマイケルのことばかり聞かれるという憂き目に遭っていたが、「ジャクソン家ではなくジャネット個人」だと宣言するアルバム『ジャネット』でさらなる高みへとのぼった。当時再び極秘結婚をしていた映像作家の夫とともに、力強いセクシーアイコンとしての地位を確立してみせたのだ。

 才能と努力によって「マイケルをしのぐスター」とまで言われるようになっていたジャネットだが、二度目の離婚後、1秒でキャリアが崩壊する出来事に見舞われる。

国民的テレビ放送で起きてしまった「露出事故」

 日本でも話題になった「乳首」騒動だ。2004年2月、アメリカの国民的行事であるNFLスーパーボウルのハーフタイムショーに出演したジャネットは、パフォーマンスの終盤、男子アイドルのジャスティン・ティンバーレイクをサプライズで登場させた。その彼が「この曲が終わるまでに君を裸にしてみせる」と歌い、彼女の胸部の衣装を引きはがした結果、乳首が露に。約1秒間、呆然とした表情のジャネットの乳首がテレビ放送されてしまった。


スーパーボウルでの乳首露出事故の様子。右は共演者のジャスティン・ティンバーレイク ©AFLO

 もちろん世間は大騒ぎになった。二人の謝罪時の弁明によると、露出は事故だった。衣装をはがし赤いビスチェを見せる予定だったが、その下着ごと取れてしまったのだという。しかし、話題づくりのためにわざとやったという疑惑を払拭することはできず、主にジャネットがバッシングの標的となっていった。

 後年「事故だったのだから謝罪すべきじゃなかった」と後悔することになるジャネットだが、当時の狂騒は、彼女一人の手におえるものではなかった。50万件もの苦情を受けた連邦通信委員会が「公然わいせつ」容疑で調査を行い、史上最高額となる55万ドルの罰金をテレビ局に科したのだ。つまり、この1秒の出来事が国家問題になってしまった。

 芸能界でもジャネットを干す流れが本格化し、グラミー賞や映画の出演がキャンセル。ラジオ放送でも楽曲がかからなくなっていった。すべてのメディアから締め出されたわけではなかったが、キャリアは大打撃を受けてしまった。

 後年、ウォーターゲートをもじって「ニップル(乳首)ゲート」とも呼ばれるようになったこの事件だが、露出が意図的だったとする証拠は見つかっていない。罰金にしても、騒動から8年も経ったあと最高裁で違憲とされて幕を閉じた。

 振り返ってみれば、この異様に誇大化した騒動は、あの時代特有の現象だった。まず、マイケルの児童虐待容疑が大ニュースになっていたため、ジャネットをふくめたジャクソン家への世間の風当たりが強まっていた。さらに、2000年代初期は、インターネットの普及により、国家によるヌード表現などに対するメディア規制が不可能になりつつある時期だった。

 これを問題視していたのが、連邦通信委員会に大量の苦情を送ったと言われている保守系宗教団体だった。大統領選挙の年でもあったからか、政治家たちもジャネットを引き合いに出すかたちで過激表現への規制、厳罰化を志向する姿勢を強めた。

 件のスーパーボウル放送直後の世論調査でも、8割のアメリカ人が「連邦通信委員会の調査は税金の無駄」、つまり過剰反応と考えていたことが明らかになっていたが、当時の政治的状況もあり、ジャネット一人が「国賊」のように扱われる流れになってしまったのだ。

 皮肉にも、世界最大の動画サービス「YouTube」は、この乳首露出事件から生まれている。「ジャネットのスーパーボウルの乳首露出事件が話題になっているのに、その映像がなかなか見つからなかった」ことから、話題の動画を見ることができるサービスを思いついた、とYouTube創立者の一人であるジョード・カリムが後年語っている。

大富豪と3度目の結婚、50歳で高齢出産

「ジャネットは決して被害者ぶらない。ただ前進していく」。前代未聞の大騒動に発展したにもかかわらず、周囲の人々の間で語り草になっているように、彼女は音楽をやりつづけた。

 2009年、マイケル急逝後に行われた激しい追悼ダンスステージは、伝説として語り継がれている。2015年作『アンブレイカブル』は復活アルバムとされ、絶賛を受けた。スーパーボウルが開催されるたび、露出騒動へのバッシングは不当だったとしてジャネットの功績を讃えるファンイベントがSNSで開催されたことも、彼女の再評価につながっていった。

 この頃、プライベートでは、保有資産10億ドルと推定されるカタールの大富豪と三度目の結婚を果たした。そして50歳になった2017年、第一子に恵まれた。高齢妊娠の経緯は説明されていないが、子どもを授かるために外国の医師にまでかかっていたという。

 あまりに過酷な人生を送ってきたジャネットは、母になったことで安寧を得た。

「息子のおかげで、愛は無限大なのだと知りました。つねに自分のことを考えなければいけないショービズの世界で育ってきたので、今、他人(子ども)の幸福を最優先にできていることが本当に幸せなんです」

 ジャネット・ジャクソンは今でもスーパースターだ。なんと、出産の8ヶ月後には世界ツアーを行ってみせた。出産後に離婚を発表、シングルマザーとして子育てとハードワークを両立し、2023年のツアーではキャリア最高となる5,000万ドル超えの売上を達成している。今回の日本公演でも、伝説を残すことだろう。

文=辰巳JUNK

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