1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 芸能
  4. 芸能総合

「『ふてほど』より『おっパン』が一歩リード?」阿部サダヲと原田泰造が演じた“加害おじさん”の差

CREA WEB / 2024年3月22日 17時0分

 パワハラやセクハラはNG! そんな認識は今は当たり前。一昔前はそれが普通に横行していたなんて、本当に時代が変わってよかったと思います。でも、まだ今の価値観に適応できていない大人はいるもので……。

 そんな大人(主にマジョリティ男性)の加害性にスポットを当てた作品が今クールで2作品放送されました。一つは『不適切にもほどがある!』(以下『ふてほど』)(TBS系)、もう一つは『おっさんのパンツがなんだっていいじゃないか!』(以下『おっパン』)(東海テレビ・フジテレビ系)。

 それぞれの作品で描かれるのは、時代の変化や世代間のギャップ。ただ、描く視点やメッセージ性に大きく差があると思います。今がどんな時代で、私たちはどう適応すればいいのか。編集者・ライターの綿貫大介さんが、その答えを探ります。


昭和と令和の価値観を極論でぶつけ合う『ふてほど』


©️TBS

 まさか阪神・淡路大震災で亡くなる未来が決まっていたとは。宮藤官九郎の巧妙な脚本で回を重ねるごとに話題を集める『ふてほど』。本作はザ・昭和のダメ親父の中学教師・小川市郎(阿部サダヲを)が今の時代にタイムスリップし、「不適切」発言で令和の停滞した空気をかき回すストーリー。公式によると、「市郎の極論が、コンプラで縛られた令和の人々に考えるキッカケを与えていく」とのこと。

「コンプラに縛られた」という表現からは、コンプラを100%いいものとは思っていない制作陣の姿勢が出ています。まぁ表現を生業にしている人が、映像界のコンプラ重視に疑問を抱くのはわからなくもない。だってテレビドラマにコンプラがふりかざされると、逃走犯はシートベルトをきちんと締め、不良高校生たちもタバコや酒をやらないというある意味“架空の世界”しか描けなくなりますから。

 そのルールのせいで作品としてのクオリティがぼやけてしまう状況は、つくり手や役者からしたら嘆かざるを得ないことでしょう(もちろん映像化においても、時代のルールで面白いものを作る、規制があるからこそ新たな面白さが生まれると信じたいけど)。

 宮藤官九郎脚本の大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~』では、阿部サダヲが愛煙家の田畑政治を演じたとき、複数人いる車内や食事中に喫煙するシーンが放送されました。当時の時代背景を鑑みると当然の演出なのですが、現代からすると昭和にはなかった副流煙問題が。「受動喫煙を世間に容認させることにもなる」と「受動喫煙撲滅機構」からNHKに抗議が入ったのです。

 今回もあえて昭和でバンバン喫煙シーンを入れているのは、時代に即した作品づくりをしたいという制作陣の抵抗でもあったのではないでしょうか。そのためドラマの喫煙シーンには「出演者・スタッフの健康に配慮」とのテロップが入っています(5話では在宅酸素療法をしている患者の近くで煙草に火をつけるシーンもあったが、酸素吸入中の火気の使用は厳禁!)。

 ものづくりに対する誠実な姿勢はわかります。ただ、そのためにハラスメントなど当たり前に守るべき法令遵守の姿勢、価値観をわざわざ否定する必要はありません。私たちはむしろコンプラにしっかり「縛られる」べきだと思います。

「多様性」は立場の弱い人の声を拾うための言葉


©️TBS

 最近も現実社会で、会合に女性ダンサーを招いて「多様性の重要性を問題提起しようと思った」ととんでもない釈明をした議員がいました。「多様性」という言葉が政治の世界で悪用されるなんて由々しき自体。これは「多様性」を完全に履き違えています(女性ダンサー側に問題は全く無いです)。

『ふてほど』第1話でも、「多様性」というワードがありました。多様な価値観が認められる社会が多様性だという女性に対し、市郎がそれなら自分の意見も認められるべきで、「それが本当の多様性」だと歌い上げるシーン。極論も認められるのが本当の多様性だ、というのです。

 でもそうでしょうか。多様性とは、今まで虐げられてきた立場の弱い人たちの声をしっかりすくい上げること。その人たちの意見に耳を傾けること。それに尽きます。今まで差別してきた側の差別的な価値観も認めろ、なんて言われても筋は通りません。市郎の主張はフェミニズムやLGBTQ+に対するバックラッシュにも通じてしまうものなのです。

 そもそも現在使われる「多様性」「ダイバーシティ」「コンプライアンス」という言葉に違和感や窮屈感を覚えている人は、だいたい今までの自分が優位だった世界を覆されたくないマジョリティの面々です。多数派側が反省しなければいけない構図になるのが許せない人たちが、今の時代を生きづらいと否定するのです。もっと生きづらかった人たちの声は無視して。

 しかし、そんな市郎も令和にいることで徐々にコンプラ意識を身につけてきています。『ごめんね青春!』をはじめとする過去作でも、違った価値観をぶつけて認め合うことを描いてきたクドカン。今回も昭和と令和、それぞれ認め合おうという落とし所なのかもしれません。ただ、どっちもどっちで済ますものではなく、ダメなものはダメと言ってあげることも新しい時代のためには必要です。現代を考え、そして未知のものへの理解を深めるために私たちは歴史を学ぶのですから。

「傷つけたくない」加害を自覚する『おっパン』


Ⓒ文芸春秋

 一方、原田泰造主演の『おっパン』は、古い価値観にとらわれていた主人公が、自分のこれまでの行いを自省し、アップデートしていく様を描くロールプレイングストーリー。今までは昭和の価値観しか知らなかったけど、時代は変わっていてこのままでは通用しない、取り残される。そんな”おっさん”が感じる悲哀や危機感までも丁寧に描いています。

 放送枠はもともと大人のためにおくる本格派ドラマシリーズとして作られた土ドラ。観てほしいターゲットも明確で、大人たちにちゃんとアップデートしてほしいと願っている誠実な制作意図が感じられます。

 主人公・沖田誠がアップデートする理由の根底にあるのが、愛する家族や部下のことを理解したいし、傷つけたくないという思い。「傷つけたくない」という感情が生まれたのは、自分の加害性を意識した証拠です。今まで自らの加害性に無自覚で生きてこれたことこそ「特権」で、そのせいで傷ついてきた人たちは確実にいる。それに気づけただけでも進歩でしょう。

 ドラマではホモソーシャルな社会やトキシック・マスキュリニティ(有害な男らしさ)をあぶり出す展開。時に主人公は、成長の過程でアウティング(本人から了承を得ずに、性的指向や性自認を第三者が公に暴露すること)などの間違いを犯しますが、それを人間性の問題にはせず、「知識がなかったせい」だと伝えているところもミソでしょう。つまり、どんな人でも、知識を得ることで変われると示しているのです。

 また、加害の理解だけでなく、被害の理解も重要。今までマイクロアグレッション(無意識の偏見や差別によって、悪意なく誰かを傷つけること)などの被害を受けても、それが自分のせいだと思いこんでいた人たちは多いのではないでしょうか。自分は悪くないという気づきを与えることで、言語化できていなかった感情、モヤッとしたものが明快になるのです。

『ふてほど』と『おっパン』の明確な差


『おっさんのパンツがなんだっていいじゃないか!』の原作漫画。練馬ジム/著

 本作は、「多様性」というテーマのもと、LGBTQ+から、アイドルの推し活、BL漫画制作などのオタク活動まで現代を象徴する要素がてんこ盛り。現代のことを何も知らない取り残された”おっさん”たちは今すぐ配信でチェックして! と言いたい教科書的な内容に。教育的要素があるにもかかわらず説教じみてないところもポイントです。

『ふてほど』と最も明確な差があらわれたのは第8話「昭和って何?」回。誠とは違い、アプデできていないままの堅物上司・古池(渡辺哲)が、なんと昭和のやり方でトラブルを解決します。ここまでは『ふてほど』のように昭和の価値観も時に有効で、すべてが悪いわけではないと示したといえます。しかし、誠はその展開のあとにちゃんと続けて「だからといって古池さんの態度が許されるわけでもない」と伝えていました。のちに古池も今までの無礼な昭和的な振る舞いを謝罪します。

 女性が男性をたて、男は仕事に没頭するのが当たり前の時代もあった。しかし、今それを押し付けるのは違う。それに当時だってそのやり方で尊厳を傷つけられた人はいたはず。そのことをしっかり言語化し、昭和vs令和という構図を脱却したところは『おっパン』が一歩リードといってもいいでしょう。

 ただ、両手を上げて絶賛できない点も。誠のアプデを手伝い、成長を促す役がゲイ男性の大地(中島颯太)であるところは残念。“マイノリティがマジョリティを助ける”という作品は昔から存在しますが、そのフォーマットに今作も即しています。しかしそれは、マイノリティは誰かの役に立つなら存在してもいい、といったメッセージにもつながるものです。

 マジョリティが納得できるマイノリティ像を作ると、納得できないマイノリティはダメだということを、暗に意味してしまう。しっかりアプデできている作品だからこそ、そのあたりも更新されていたらなおよかったです。

「多様性」が当たり前のドラマが一番いい

 思えば平成のドラマは女性が傷つきながら奮起するようなドラマばかりでした。たとえば1994年放送の『29歳のクリスマス』では、男性上司のいやがらせに歯向かうヒロイン像を山口智子が熱演。ストレスで10円ハゲをつくりながらも、自分の幸せのため懸命に戦っていました。

 でも、それだけでは常に傷ついてる側が何倍も努力をしなければ対等に扱われないことに変わりはない。社会の問題が努力の問題にすり替えられてしまいます。根本を変えるにはマジョリティが自分の特権や加害性を理解しなければなりません。

 だからこそ、傷つく側だけではなく男性の加害性をストレートに主題とする作品が現れたことは希望でもあります。多様性に関しても、「問題」はマイノリティ側ではなくマジョリティ側にあるんです。

 価値観の違いを認め合おうとする『ふてほど』と、認め合いつつもアプデは大事、誰も傷つけない配慮が好ましいと伝える『おっパン』。それぞれ差はあれど、ドラマを通してマジョリティ側の「とんでもない」主張がいかに害悪だったかに気づけた人は多いのではないでしょうか。

 昭和、平成、令和。時代が変わるにつれて、価値観はどんどんいい方向に変化している思います。今はまだ過渡期(いつまで過渡期なんだ……!)。「昔は良かった」という人もいるけど、そんなことはないです。世の中が変わっていくのは当たり前。何をしても許されていいわけなんてないんです。

 強者に踏みつけられてきた人たちがいることが表面化してきた今だからこそ、ドラマの現在地としては加害と被害を丁寧にみせる必要がある。もちろん、こういう作品がわざわざ作られる必要のない社会が一番好ましいと思います。「多様性」が当たり前のみんなが共生している世界のドラマで溢れ、視聴者もその世界に違和感を感じないぐらい、現実社会もはやくアプデしてほしいものです。

綿貫大介

編集&ライター。TVウォッチャー。著書に『ボクたちのドラマシリーズ』がある。
Instagram @watanukinow
X(旧twitter) @watanukinow

文=綿貫大介

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください