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昭憲皇太后の大礼服が展示される またとない機会。明治のエレガンスを 感じに、明治神宮ミュージアムへ

CREA WEB / 2024年4月26日 11時0分


昭憲皇太后の大礼服。5年にわたる修復・復元作業を経て、現代へとよみがえった。

 明治天皇とともに御祭神として明治神宮にまつられている皇后、昭憲皇太后の崩御より110年。明治神宮ミュージアムではその記念行事として、修復・復元された「大礼服」をはじめとする昭憲皇太后のドレスなどを展示する「受け継がれし明治のドレス」展(前期展「昭憲皇太后の大礼服」は5月6日まで、後期展「明治天皇と華族会館」は5月25日~6月30日)を開催しています。

※前後期で展示品はすべて入れ替わります。

 激動の明治期から現代へとよみがえったドレスをひと目見たいと、小説家の一色さゆりさんが明治神宮を訪れました。


悠久の森に囲まれた美しいミュージアムへ


鎮座百年祭記念事業の一環として2019(令和元)年に開館した明治神宮ミュージアム。隈研吾氏設計。

 JR原宿駅に隣接しながらも、街の喧騒を一切感じさせない荘厳で清らかな佇まいを見せる明治神宮。1920(大正9)年に創建された明治天皇と皇后である昭憲皇太后を御祭神とする神社で、境内には重要文化財がおさめられている宝物殿や明治神宮に関する展示を行う明治神宮ミュージアム、カフェやショップなどもあり、参拝後の人々が多く足を運んでいます。

 2024年は昭憲皇太后百十年祭・霞会館創立百五十周年の式年にあたります。これを記念して明治神宮ミュージアムで開催されている「受け継がれし明治のドレス」展を訪れたのが、小説家の一色さゆりさん。明治神宮ミュージアムは、明治天皇・昭憲皇太后ゆかりの品々を保存・展示するため、2019(令和元)年に建てられた施設です。

 ギャラリーや美術館にキュレーターとして勤務した経験を生かした作品が人気の一色さんですが、明治神宮ミュージアムを訪れるのは初めてだそう。

「悠久の緑に囲まれた、気持ちのスッとする場所ですね! 原宿駅から歩いてきて鳥居をくぐると一気に神聖な感じがして、明治神宮がパワースポットとして多くの人に愛されているのも肯けます。隈研吾さん設計のミュージアムも建物自体がとても清々しく、美しいです」

日本の近代化の象徴ともいえる大礼服が展示


昭憲皇太后の大礼服を前に、「昭憲皇太后様はこんなに小柄な方だったんですね」と驚きの声を上げた一色さん。

「受け継がれし明治のドレス」展は前期・後期に分かれ、5月6日(月)までの前期では昭憲皇太后の御召物を中心とした展示となっています。特に注目を集めているのが、修復完了後、東京では初公開となる昭憲皇太后の大礼服です。大礼服とは、宮中で最も格が高く主に新年の拝賀式で着用された第一礼装。1888(明治21)年から1990(明治23)年にかけて製作されたと見られ、1909(明治42)年に尼門跡寺院の大聖寺(京都)に下賜されました。

 長い年月を経て全体的に劣化が進んでいた大礼服ですが、中世日本研究所の所長モニカ・ベーテさんをはじめとする国内外の研究者や専門家が集結し、2018(平成30)年より大規模な修復プロジェクトを実施。2023(令和5)年に基本的な修復が完了し、今回の展示へと至ったのです。

昭憲皇太后の強い意識が感じられる大礼服


宮中では最も格式が高い第一礼装として着用されていた大礼服。「華奢な昭憲皇太后にとっては相当な重さだったでしょうね」

 大礼服はボディス(上衣)、スカート、幅1.7m、長さ3.4mにも及ぶトレイン(引き裾)からなり、ボディスとトレインには薔薇の花が織り込まれたシルク地に金モールで立体的な刺繍が施されています。あたかも昭憲皇太后がお召しになっているかのような展示を前に、一色さんは「小さい!」とまず一言。

「写真を拝見した時は、神々しくて華やかなドレスだな、とその美しさにばかり目が行きましたが、実際に拝見すると、その小さなサイズに驚きました。明治時代の女性の平均身長からすると、当然なのかもしれませんが、そんなことからも明治時代と今では時代が大きく違うのだと認識させられますね」(一色さん)


修復されたトレインの長さは3.4m。大聖寺に下賜された際に裁断され、打敷として飾られていたそう。

 明治10年代後半から20年代初めにかけて、日本では欧化主義の風潮が高まり、宮中でも宮廷服として洋服が採用されることになります。昭憲皇太后は1886(明治19)年、皇后として初めて洋装を取り入れ、以降、公式の場はすべて洋装で通したといいます。

 それまで屋外に出ることはほとんどなく、指の先さえ人に見せずに暮らしていた皇族の女性が人前で肌を露出することは、現代では想像もできないほどの勇気を必要としたことでしょう。明治神宮国際神道文化研究所の主任研究員である今泉宜子さんは、昭憲皇太后が皇后としての役割に強い意識を持って決心されたのではないかと語ります。

「世界の舞台で日本が対等に認められるには皇后の洋装が不可欠だという周囲の勧めもあって、国のためになるのであれば、と心を決められたのだと思います。この頃昭憲皇太后が記された和歌に『新衣(にひごろも)いまだきなれぬわがすがた うつしとどむるかげぞやさしき』とあります。決意をしながらも洋装への戸惑いを覚えている昭憲皇太后の御気持ちが感じられるようです」(今泉さん)

 それを聞いた一色さんは、「現代とは全く異なる常識、価値観の時代に作られ、着用されたドレスなのですね」と強く感じ入ったよう。

「昭憲皇太后は、初めて洋装を身に着けられた皇后――それだけだと実に簡単そうに聞こえますが、その裏側には、きっと今では考えられない勇気や苦労を要したのでしょうね」(一色さん)

どこで、どのように作られたのか? 大礼服の謎が次第に判明


ボディスの縫製技術や刺繍の補強材などから、大礼服の仕立てと刺繍は日本国内で行われたと考えられている。

 赤と白の薔薇を織り込んだシルク生地に、金モールやスパンコールを惜しみなく使用した精緻な刺繍。これほど手の込んだ贅沢な大礼服は、いつ、どこで、どのようにして作られたのか。修復にあたっては、まずその謎を解明することが必要でした。

 プロジェクトチームは、当初日本とゆかりの深かったドイツあるいは他の西欧の国で製作されたのではないかと考えていました。が、裏地を外してみると、金属刺繍の補強材として和紙の反故紙を使用していることが判明。これにより、大礼服の刺繍は日本国内で行われたことが明らかになりました。

 また、ボディスを詳しく調べたところ、縫い糸がヨーロッパの標準的なものではなく、縫製の特徴も異なることが分かりました。つまり、仕立ても刺繍も日本国内で手掛けられたと考えられるのです。


紋織のためのジャカード機は、明治初期に京都・西陣の職工がフランスから日本へと持ち帰った。当時のジャカード機の模型も展示されている。

 裂地については正確なことはまだ分かっていませんが、可能性として考えられるのは、さまざまな紋様を織ることができるジャカード機の使用です。京都府は1872(明治5)年に西陣織の職工3人をフランスに派遣、技術を学ばせたうえで翌年ジャカード機を日本に持ち帰らせています。その技術が普及していたなら、大礼服の裂地を国内で織ることも可能であったと思われますが、結論には今後の研究が待たれます。

「京都・西陣織の職人がいち早く西洋に留学し、ジャカード機とその技術を持ち帰ったというのもロマンを感じました。私は京都出身なので、西陣織は小学生の頃に社会科見学をした経験もあったりして、身近なものだったんです。1着のドレスに、これほどまで広範囲で興味深い歴史が織り込まれているなんて、本当にすごい! 1冊の本で世界をつむいでいかねばならない小説家の端くれとして、素直に感銘を受けました」(一色さん)

驚くほど繊細な修復保存作業。その技術の高さに感動


修復保存プロジェクトの技法や道具も会場に展示。「想像もできないほど繊細な作業ですね」と一色さん。

 会場では、参考展示として大礼服の修復保存に用いられた技法や道具も紹介されています。トレインやボディスの修復を行ったのは、染織文化財の修復を手掛ける京都の株式会社染技連。損傷部分の色に合わせて染めた絹糸と伝統的な手打針を用いて裂地を補強したほか、刺繍の修復やスパンコールの留め直しなど、繊細な作業を続けました。


「泥紙」と呼ばれる補強材を使用した刺繍部分の修復についても、詳しい解説とともに見本を展示。

 また、ボディスについては、立体保存をするためのトルソー(アーカイバルマウント)を製作。アメリカのロサンゼルス・カウンティ美術館がボディスを採寸して型紙を作製しています。


傷みやすいボディスを立体保存するため、採寸して型紙を作り、トルソー(アーカイバルマウント)を製作。

 国内外の高い技術を集め、精緻な作業によってここまで成し遂げられた修復保存プロジェクト。美術品修復士を主人公にした『コンサバター』というシリーズ小説を書き続けている一色さんは、こうした資料の展示や修復工程の映像が非常に興味深かったといいます。

「修復って、時の流れとの戦いでもあると思います。しかも、人の寿命よりも遥かに長いスパンで、物事を見通さなければならない。その点、西洋式のドレスには、それ専用の保存形式があることなどを知ることができて勉強になりました。130年余り前のドレスが、修復によって劣化や損傷から守られ、今も美しく存在し続けている。あまりに自然に輝いているので気がつきにくいけれど、修復士や研究者のみなさんの情熱によって磨かれているからこその賜物。そのことを知ったうえで見ると、より一層美しいドレスに映りますね」

明治という時代を果敢に生き抜いた昭憲皇太后の生涯


「ローブ・モンタント」とも呼ばれた通常礼服。当時のヨーロッパの流行が取り入れられている。

 1886(明治19)年に初めて洋装を着用されて以来、より簡素で動きやすい洋服の採用をうながし、産業や美術の振興のために国産服地の使用も奨励されたという昭憲皇太后。一方で、積極的に外国人と交際し、女子教育や日本赤十字社事業へも深く関わるなど、日本が新しい時代へと踏み出す途上に大きな足跡も残されています。

「明治天皇のご都合が悪い時にはお一人で公式行事に臨まれることもあるなど、皇后として非常に強い意識をお持ちだったと思います。上皇后陛下も深く尊敬の念を抱いておられるそうで、『皇后の役割の変化ということが折々に言われますが、私はその都度、明治の開国期に、激しい時代の変化の中で、皇后としての役割をお果たしになった昭憲皇太后のお上を思わずにはいられません』と語っておられます」(今泉さん)

「お話を伺うほどに、現代の女性と変わりない進歩的なお考えの片鱗を感じました。もっと言えば、130年余りも経っているのに、現代の女性の考えはむしろ後退しているんじゃないか!? とも思えてくるほどです。洋服を着用されたこと、写真に姿を残されたこと、外交の場でも重要な役割を担われたこと……数多の“初めて”を切り拓いていらっしゃる。いったいその原動力はどこにあったのか? なぜそれほどまで勇敢でいられたのか? 同じ女性として、すごく知りたくなりました」(一色さん)


即位礼や新年の賀式に皇后をはじめ皇族妃や女官が着用した、いわゆる「十二単」。江戸末期製作とされる。

 今回の展示では大礼服のみならず、昭憲皇太后が着用された数々のドレスや十二単などの装束、さらに明治天皇の正服(軍服)や、お二人の肖像画など変革の明治を感じる貴重な品が数多く展示されています。

「私は個人的に明治時代に強く惹かれるんです。社会や人が大きく変わっていく、変わらねばならない、その中での葛藤やドラマが胸を熱くさせて好きなんだと思います。そういう意味で、昭憲皇太后の生き様はまさに明治の醍醐味を感じます。まだまだ畏れ多いですが、小説家としての実力をつけて、いずれ昭憲皇太后の一生に向き合うことができればうれしいですね」(一色さん)

 前期の「昭憲皇太后の大礼服」は5月6日(月)まで。後期の「明治天皇と華族会館」では、展示品をガラリと入れ替え、明治天皇の意向を受けて発足した華族会館を前身とする霞会館の所蔵品を展示。こちらも明治期の文化を知るうえで貴重な機会となりそうです。

【展覧会情報】

展覧会名 受け継がれし明治のドレス
会期   【前期】昭憲皇太后の大礼服 4月6日(土)~5月6日(月)
     【後期】明治天皇と華族会館 5月25日(土)~6月30日(日)
     ※前後期で展示品はすべて入れ替わります(常設展示品を除く)
開館時間 10:00~16:30(最終入場16:00)
休館日  木曜※5月2日(木)は開館
会場   明治神宮ミュージアム
     東京都渋谷区代々木神園町1-1
https://www.meijijingu.or.jp/museum/exhibitions/?id=1708067909-602273

一色さゆりさん

1988年、京都府生まれ。東京藝術大学美術学部芸術学科卒業後、香港中文大学大学院修了。2015年に第14回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞し、翌年に受賞作『神の値段』でデビュー。主な著書に『ピカソになれない私たち』『カンヴァスの恋人たち』、「コンサバター」シリーズ『ユリイカの宝箱―アートの島と秘密の鍵』など多数。

文=張替裕子
写真=杉山秀樹

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