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カップルでの鑑賞は要注意!? とりかえしがつかないことになってしまった夫婦の映画「チャイコフスキーの妻」「画家ボナール ピエールとマルト」【二村ヒトシコラム】

映画.com / 2024年9月15日 20時0分

 「画家ボナール ピエールとマルト」が売れてる画家とつきあうのは大変だという話なら、「アキレスと亀」は売れない画家の妻も大変だという話です。それは、芸術家ではない男を夫にする話として読み変えることもできます。その場合は「画家ボナール」は一見さえない外見なのに上場企業に勤めていて、仕事はとてもできるが仕事のつきあいと称して実は浮気もしてるモテる男(なかなか籍を入れてくれないし子どもも作らない)とずっとつきあってる女は大変だという話になりますし、「アキレスと亀」は自分で小さな商売をしているが景気が悪いから働けば働くほど赤字になって倒産寸前なのに仕事が好きすぎて、その仕事以外に何もできないしやることもない夫(しかも仕事を妻に無給で手伝わせる)をもった妻は大変だという話になります。どっちがマシですかね。どっちもいやですよね。

 しかしどちらの映画でも、なんで若いころの妻がいずれそんなことになる夫を好きになったのか(つまり、出会ったころの夫が変な人ではあったけど妻にとって魅力ある男だったということ)がちゃんとわかるんです。困ったね。

 「画家ボナール」では非常に恐ろしい、とりかえしがつかないことが起きるのですが、「アキレスと亀」でももっと(と比べるべきものでもないのですが)とりかえしがつかない、ある夫婦にとっては究極的に起きてほしくないことが起きます。しかしそれでも「アキレスと亀」は、まだギリとりかえしはつくっぽい終わりかたをします。それは妻も夫もどちらも映画の中で死なないから、そしてこの夫婦が実在してない架空の人物だからというのもあるでしょう。あるいは、この映画を撮ったとき監督は自分の理想、もしくは「そうするより仕方ない」を語ったのかもしれません。

 「画家ボナール」では妻が先に死にます。もともと体が弱かった妻が、それでもまあまあ長生きできて(夫と一緒に暮らしたおかげで? いや、それはわかりません)老いて死ぬところで映画は終わります。「チャイコフスキーの妻」ほど激痛が前面にでた映画ではありませんが、長生きはできたけれど最後まで彼と暮らした彼女の人生は幸せだったのかという答えのない問いがそこに残ります。

 死んだ人は最後の言葉のあとにもう何も語らないですし(最後の言葉を解釈するのは生き残った側や、映画の観客です)そもそも彼女の最後の美しい言葉も映画のフィクションかもしれません。そして実在した人の人生を映画監督が結論づけることも、実在の他人の人生を使って自分の理想を語ることもできません(まあ、やろうと思う創作者もいるのでしょうが)。

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