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なぜ日本人のアーティストは政治的な発言をしないのか――金子文子からもインスピレーション「HAPPYEND」空音央監督

映画.com / 2024年10月6日 10時0分

 そうですね。普通の映画はみんな日本人ばかりというところに、僕はいつも違和感を持っているので。本当にそうなのか? ということを考えてしまうんです。なぜならじつはよく聞いてみたら、家系を辿ったら日本人じゃない人も多いかもしれないし、そもそも日本人って何? という問いに行き着くと思います。国籍かといったら、国籍を持っていない日本人もいますし、日本生まれではない日本人もたくさんいると思いますし、じゃあ日本語を喋れるから日本人なのか、といったらそういうわけでもない。

 何が日本人を定義しているのかというと、近代国家を作るにあたってどうしても必要なナショナル・アイデンティティが日本人というものだと思うんです。じつは日本人と言われている人たちにはいろいろな血が混ざっているかもしれない。単一民族神話といったものを自分は崩したいと思っているのです。それは幻想であって現実と即さない。とくに将来は見るからにそうではなくなっていくということが、日本の近未来という設定を考えたときに当てはまると考えました。とくにそれをドラマにするわけではないけれど、そういう現実を当たり前かのように描きたかった、というのが大きなモチベーションとしてありました。

――在日韓国人であるコウとユウタの育ちの違いは、物語が進むに連れ明らかになります。コウは外からの差別を受けるけれど、ユウタはそういうことを何も考えずにいられる、ある意味恵まれた環境にある。それがあることがきっかけで友情に亀裂が入り、ユウタも考えずにはいられなくなる。そうした過程が、とてもリアルで説得力があると思いました。

 痛みを知っている人は他の人の痛みに気付くし、構造的な差別や社会的な理不尽に気付きやすいと思うんです。でもそれを経験したことがない人たちは、たとえばそれを気付かなくてもいい人生を歩んでいる人たち――もちろんそれでも気付く人もいると思うんですが、気付かない人もたくさんいる。それが社会の構造を露呈しているということはいつも考えていることなんです。日常を観察すると、本当にそれがいろいろなところに現れている。そういう背景の違いや階級格差なども、辿っていくと人種とか植民地主義の歴史などに繋がっていくものだ、ということが歴史を勉強してわかりました。

 その気付きを与えたくれたのが、アメリカにおける黒人の存在なんです。ブラック・ライブズ・マターでつねに指摘されていたのは、アメリカの経済格差を見ていると、黒人の女性やトランスジェンダーの人たちが一番下層にいて。それはなぜかと考えたとき、英語ではジェネレーショナル・ウェルスと言われますが、世代的な富が政策的に禁じられてきたから。たとえば白人が許可されているような、家を買って資産を築くみたいなことが黒人は制度的に許可されていなかった。そういった歴史を知ると、今の日本における格差や差別も日本の歴史と切り離せないものだとわかってきたのです。

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