1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 経済
  4. 経済

【ファッションの“未来”たちに聞く】オンナノコらしさとクールが混じりあう温度感--デザイナー青木明子--1/2

FASHION HEADLINE / 2016年6月29日 21時0分

たぶん、ファッションを意識したのは「着ていく洋服を自分で選びたい」という自我が目覚め始めた幼稚園の頃からだと思います。

ーー早いですね。

学校がとても厳しくて、学校内での装いはかなり規制がありました。なので、私服で自分を表現する時間がたのしかったです。両親はそこまで「あれがダメ、これがダメ」ということはなかったのですが、校則を破って親が呼び出されるとなると子どもながらに、悪いなって思うじゃないですか。自分のせいで親が呼び出されて、親が学校からシリアスに怒られてしまうので(笑)。小さな子どもにとって、それはちょっと深刻でした。今となってはかわいい内容だと思うのですが(笑)。

ーー学校に行ってる時は全部規定通りにしていた?

そうですね。幼稚園では、ティッシュの種類まで決められていたんですよ(笑)普通のポケットティッシュの半分くらいの小さなティッシュがあったんです。バラの絵みたいのがデザインされてて。

ーーあら、かわいいですね。

かわいいですけど、ちっちゃくて、3枚ぐらいしか入っていなかったような(笑)。

ーー少ない!それ、商品化してもいいかも?(笑)

今でもあるのかな? 今は校則はだいぶ緩くなっているみたいですが、当時は厳しかったです。それに、規則を破った格好で街中にいると通報する卒業生とかもいたので、朝礼で先生に「名乗り出なさい」と言われたり(笑)。今では、特殊な環境だったんだなと思いますけど、その当時はまだ幼くて他の世界もなかなか無いですし、それが全てでした。

ーー常に見られていること前提という環境だったんですね。でも、学校の方針としては、「規律正しく」とか、「守りなさい」、「そこから生み出されるなんとかの精神性」とかがあるわけですものね。

はい。「良心」とか「清く正しく美しく」という校訓でした。それが理由かはわかりませんが、同級生はかなり高い割合で、当時に自分がなりたかった職業について仕事をしています。お医者さんやテレビ局のAD、アナウンサーや芸能人まで、女子にしてはかなり独立している子が多いい気がします。ただ、美術系に進学する子は少なくて、学年で私を入れて3人だけでした。みんなが日本史や数学を机に向かって必死にやってる時間、私たちはイーゼルに向かってデッサンを必死にやっていました(笑)

ーー美大を目指したきっかけはどんなことだったんですか?

小学生の時から絵を描くのが好きでしたし、実は、小さい頃から将来の夢は「ファッションデザイナー」だったんです。あとは哲学者、心理学者というのもありました。たぶん校則もそうですが、何かに押さえつけられている現実やあらゆる現象に対して「なぜ?」と思うことが多かったのかもしれません。「なんでそうなのかな?」と、「人ってどうしてこうなのかな?」を考えることが好きだったんです。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

複数ページをまたぐ記事です

記事の最終ページでミッション達成してください