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ファッションデザイナー髙田賢三が語る成功と失敗、そしてこれから【INTERVIEW】

FASHION HEADLINE / 2018年4月21日 17時0分

髙田: 僕がしてしまった失敗を読んでもらうことで同じような失敗をしないようにするなど、読む人のこれからに役立ててもらえれば嬉しいですね。また、僕自身、若いときから夢を持って冒険をしてきたことが今につながっているので、そうしたことも読んで欲しいと思っています。

FH: 失敗ということについては、どうすればよかったと思っていますか?

髙田: 70年代はビジネスのことはほとんど考えず、ファッションショーや服のデザインのことばかり考えていました。それだけではまずいと思いましたし、共同で経営の部分をやってもらっていた人とも別れてしまいました。それが、80年代に入ると、経営者も変わり、逆にビジネスが中心になってしまいました。僕自身はクリエーションに集中して、経営は人に任せきりにしてしまっていましたが、当時、その先のことや経営のことなどもよく考えて、クリエーションとビジネスを両立することができるような体制の会社にすることができていればよかったと思います。また、持ち株をLVMH モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトンにブランドを売ってしまったことも後悔しています。僕自身すごく軽はずみだったと思っています。

FH: 『時代の波』というページの部分で1973年春夏コレクションに「ジュルナル・ド・テキスチル」の人気ランキングで首位になり、83年くらいまで上位3位以内に入っていたのが、80年代後半から一気に順位が急落する話が出てきます。

髙田: 人気ランキングについては僕自身はほとんど気にしていませんでしたが、1位が2位、3位となってくると気になりはじめますし、会社のみんなも気にしてくる。もちろん、刺激にはなりましたが、やはり83年以降どんどん順位が落ちていくのは厳しかったです。自分自身、コレクションのクリエーションがどんどんなくなり、ビジネスが中心になっていることはわかっていました。70年代にはコレクションだけに集中しすぎて、ショーを見ていいと思った編集者に「この服を撮影で使いたい。どこで買うことができますか」と聞かれても実際には販売していない服も多かったことを批判されていました。それが、80年代にはジャーナリストたちから「ビジネスだけでなく、コレクションでももっとおもしろい服を作って欲しい」と言われていました。

FH: 共同経営者との衝突などについても書いていますが、クリエーターが1人でデザインとビジネスを両立させることは難しい。いいパートナーが必要ですね。

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