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Jポップのパイオニア 本城和治の仕事録 ユーミン、PANTAらが作品提供した石川セリ 「当時はシティポップという概念は浸透しておらず…ウエストコースト系を意識」

zakzak by夕刊フジ / 2024年4月19日 11時0分

独特の雰囲気を持っていた石川セリ(夕刊フジ)

近年、世界的なムーブメントとなっているシティポップ。そのなかで特に再注目されている大橋純子と石川セリは、本城和治が多くの楽曲を制作したアーティストだ。

「2人はほぼ同時期、およそ10年にわたって担当しました。当時はシティポップという概念はそれほど浸透しておらず、大橋純子はニューヨーク寄りの黒人系ソウル、石川セリはウエストコースト系のポップスを意識していたのです。彼女たちの声の質感やフィーリングからイメージした色分けでしたが、ともに新しいポップスを志向しながら、違う方向性の音楽を並行して作れたことは非常に刺激的な経験でした」

米国人の父親と日本人の母親の間に生まれた石川はキャニオンからデビュー後、本城のいた日本フォノグラムに移籍。ハーフ特有のアンニュイな声にほれ込んだ本城は、アルバム「ときどき私は……」(1976年)の制作にあたって荒井由実(ユーミン)に作品提供を依頼する。彼女がシンガー・ソングライターとしてデビューする前、加橋かつみに楽曲を提供したときのディレクターが本城だった。

「セリの声にはユーミンの曲が合うと考えたのです。彼女もセリの声を気に入ったようで『ひとり芝居』(松本隆作詞)など3曲を書いてくれました。いずれもマンタ(松任谷正隆)のアレンジで素晴らしい仕上がりでした」

同アルバムはほかにも萩田光雄、瀬尾一三、矢野顕子、後藤次利ら当時20代のアレンジャーやミュージシャンが多数参加。続くアルバム「気まぐれ」(77年)ではのちに石川と結婚する井上陽水が「ダンスはうまく踊れない」など3曲を、「頭脳警察」のPANTAが「ムーンライト・サーファー」など2曲を書き下ろしたほか、ブレーク前の南佳孝や来生たかおも起用されて連続ヒットを記録した。

「PANTAとはある人の紹介で会ったのですが、意外にもフレンチポップスが好きでフランス・ギャル(本城が洋楽ディレクター時代に担当)のファンとわかって意気投合。セリとの相性もよかったことから、その後もシングルA面2曲とアルバム収録曲1曲を提供してくれました。それだけに昨年の訃報が悔やまれてなりません」 (濱口英樹)

■本城和治(ほんじょう・まさはる)1939年生まれ。62年、日本ビクターに入社。洋楽ディレクターから邦楽の制作に転じ、ザ・スパイダース、ザ・テンプターズなど11のGSバンドのほか森山良子、尾崎紀世彦、大橋純子らを担当し、ヒット曲を量産。現在、濱口英樹氏が構成した制作回想記「また逢う日まで~音楽プロデューサー本城和治の仕事録」(シンコーミュージック・エンタテイメント)=写真=と2枚組CD(ユニバーサル ミュージック)が好評発売中。

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