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四度の手術、J入り破談を乗り越え…二浪で日本文理大進学、MF藤田恭輔の4年間

ゲキサカ / 2016年12月8日 8時8分

“二浪”して日本文理大へ進学したMF藤田恭輔

[12.7 全日本大学選手権(インカレ)1回戦 専修大3-2日本文理大 味スタ西]

 二十歳を前に直面したのは“悲劇”だった。日本文理大のMF藤田恭輔(4年=大分U-18)は高校3年時に故障を負い、紆余曲折の末に“二浪”して大学進学。そして最終学年で迎えた今季、副キャプテンとして日本文理大を13年ぶりの全日本大学選手権(インカレ)出場へ導いた。悔しくも初戦敗退となったが、全国舞台で爪痕を残す一戦をみせた。

 時はさかのぼること6年前、大分トリニータU-18に所属していた高校3年生時の春に右足中足骨を負傷し、手術を受けた。既にJクラブからオファーもあるなかでの故障。Jクラブへの練習参加は断念し、治療に専念した。

 しかし早期復帰を誓うなかで悲劇が襲う。患部の状態が思わしくなく、皮膚移植や骨移植など「大掛かりな手術」をする日々が続いたのだ。同級生たちが大分U-18を経て、それぞれの道へ進んでいくなか、藤田はまさかの“浪人生活”。大分が「責任を取る」とリハビリを受け入れてくれたが、1年で傷は癒えず。浪人生活はまさかの2年目へ突入。手術は実に4回目を終えていた。

「最初の1年はオファーをしてくれたJのクラブも待ってくれると言っていたんですけれど、さすがに2年となると待ちきれないぞと……」。J入りの話しが立ち消えたとき、「来ないか」と救いの手を伸ばしたのが大分U-15時代に指導を受けた監督であり、日本文理大を率いていた由利繁弘監督だった。

 負傷から復帰後、「トリニータでやっていたからこそ、トップの厳しさとかわかるし、全然感覚も戻らずに、この状況では(Jでプレーするのは)厳しいな」と感じていたMFは大学進学を決意した。

「何度も手術をして、本当に悔しくて。今まで挫折とか辞めようとか考えたことはなかったんですが、初めて挫折しかけたんです。でも仲間の応援とかもありましたし、手術ではやめたくないなと。自分の実力がだめでとかならまだしも、手術で諦めるのは嫌という意地ですね。それで続けました」

 大学1年生になったのは、同級生たちから遅れること2年。二十歳の春だった。始まった大学生活。手の届く場所にはプロ入りがあったはずが、目の前の現実は厳しいもの。待っていたのは九州1部の優勝争いではなく、残留争い。当時を振り返った藤田は「九州リーグの入れ替え戦ですよ。なんでここに来たんだろうと。最初は後悔もしました」と正直に語る。高校時代には大分を飛び出し、関東や関西の大学へ進学することも描いていただけに、もどかしさも募った。

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