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人生を変えた“高2の決断”…湘南MF神谷優太「大事なのは目の前の一日」

ゲキサカ / 2017年3月22日 7時30分

――神谷選手は高校2年生の途中に東京Vユースを離れ、青森山田への編入を決断しました。改めて、当時の気持ちを教えてもらえますか。
「ヴェルディユースの仲間には申し訳ない気持ちもあったけど、自分が成長するために決断しました。もっと成長するためには、環境を変える必要があると思ったし、それも厳しい環境に身を置きたかった。青森は雪の多い環境ですからね。その決断がうまくいかない可能性もあったけど、やってみないと分からないじゃないですか。でも、そこで失敗しても自分の責任だし、どっちに転ぼうとも覚悟はあったので、新しい一歩を踏み出しました。正直、親に反対されるかもしれないと思ったけど、僕の決断を尊重してくれたので、親には本当に感謝しています」

――青森山田での時間を振り返り、どういう刺激があり、どのように成長できたと感じていますか。
「僕は青森山田に行ったばかりのとき、『プロになる』ということしか考えていませんでした。悪く言えば、『自分さえ良ければいい』という感じだったし、極端に言ったら『一人でサッカーができるならそれでいい』くらいに思っていた。けど、当然のことですがサッカーは一人ではできないし、仲間とより触れ合う内に、改めて仲間の大切さ、チームの大切さを実感していきました」

――高校2年生の冬に編入してきた神谷選手を、チームメイトはすんなり受け入れてくれたと。
「2年生の終わりにチームに加わる選手がいるなんて、誰も想像できないですよね。だから僕が入ったら、『チームの和を乱すんじゃないか』とか考えましたが、全然そんなことはなかった。寮での生活が大きかったと感じていますが、サッカーだけでなく、いろいろな話をして盛り上がり、プライベートの時間をともに過ごすことで仲が深まっていき、部活動だからこそ生まれるチームワークというのをすごく感じられた。仲間の大切さを改めて気付かせてもらい、自分がチームのために何ができるかを考えてプレーした結果、皆がいたからこそ、今僕はここにいると思う。本当に監督、チームメイト、コーチ、そして学校を含めて携わってくれた方々への感謝の思いがあります」

――編入して、すぐに背番号10を与えられます。
「(高橋)壱晟(現千葉)なんかは、複雑だったかもしれませんね。彼だけでなく、『何であいつが』と思われているかもしれない中、結果を残せなければ、『やっぱりダメじゃないか』と思われるだけだったので、何かしら結果を残しながら、青森山田の10番に似合う選手になっていかなければいけなかった。悔しさは残りましたが、選手権のベスト4まで進んだこともあり、僕があの番号を着けたことを、壱晟や皆も納得してくれたんじゃないかなと思っています」

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