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今あるチャンスをつかむ…仙台の大卒ルーキーDF永戸勝也「不動の存在にならないと始まらない」

ゲキサカ / 2017年5月10日 7時30分

―これだけ早く仙台へ馴染めた理由の一つとして、法政大が仙台と同様に大学サッカーでは比較的珍しい3バックのシステムを採用していたこともあるのかなと思いますが、どうでしょう?
「それは自分的にはだいぶ良かったかなと思っています。ですが、プロは戦術も違うし、サイドの役割も大学のときと全部が全部一緒ではないので、多少は慣れるのに時間もかかりました。それでもキャンプで上手く修正しながらやれたので、よかったなと思います」

「大学のときは3バック対4バックがほとんどだったので、逆に3バック対3バックの試合に今はまだあまり慣れていないので、難しいというか、本当に一対一になるので、そこは今やっていて新鮮な部分ですね」

―ここまで数試合を経て、Jリーグと大学サッカーの違いはどこに感じていますか?
「連戦もある中でのトレーニングはコンディションと戦術をすり合わせていくので時間は短いですけど、だいぶ充実しています。そこは大学のときよりもプロでやっているなという実感はあります。それと試合では対戦相手も各チームそれぞれサイドにいい選手がいるので、毎週(相手の特長が)変わるなという感じですね」

 ルーキーイヤーにも関わらず、J1の舞台で堂々と戦っている永戸。どんな大学時代を過ごしてきたのか――。関東2部だった大学1年時はリーグ中断明けの2013年9月4日、第10節・東京学芸大戦(1-0)で大学リーグデビュー。残り全試合に先発した。チームは7位終戦で1部昇格は叶わなかったが、転機は大学2年のとき。背番号2を与えられ、不動の存在としてピッチへ立ち続け、法政大の1部昇格へ貢献。さらにこの夏、法政大は関東2部所属ながら、夏の大学日本一決定戦・総理大臣杯の予選を勝ち抜き、全国出場。勢いは止まらずに躍進を続け、全国準優勝を遂げた。2年生ながら主力としてプレーしていた永戸は、この大会でその名を知らしめることになった。

―大学ではルーキーイヤーから意識を高く持ってやっていましたか?
「1年生のときは、ただただ試合に出ているだけでした(苦笑) 試合に出ていない時期は“出たい”という一心でやって、試合に出れたら“あぁ試合出れてる”という感じでやっているだけで。がむしゃらに次の試合に出られるようにやっていただけでした」

「2年生のときの総理大臣杯が全てですね。総理大臣杯が自分にとってのターニングポイントだと思います。僕自身のパフォーマンスはそんなに良かったわけではないですが、結果を出したことで注目されるようになりましたし、その前と後では全然違います」

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