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[SEVENDAYS FOOTBALLDAY]:マイ・ウェイ(昌平高・古川勇輝)

ゲキサカ / 2017年7月1日 10時51分

 普段は日本人学校に通っていたが、チームの共通言語はもちろんスペイン語。「短期留学である程度は理解できる状態」だったとはいえ、当然すぐにすべてが把握できる訳ではない。ただ、チームメイトとのコミュニケーションも「最初は難しかったですけど、フレンドリーな選手を中心にだんだん打ち解けていって、シーズンを通す上で仲良くなっていった感じですね」という。前述したFCバルセロナを相手に2点を決めた試合も、この渡西1年目のシーズンのこと。2年目のシーズンは同じカテゴリーで戦っていたFCバルセロナを倒し、リーグ優勝も達成するなど、自身のプレーにも少しずつ自信を深めていく。

 加えて古川にとって大きかったのは、カンプ・ノウという最高の舞台で世界トップレベルのサッカーを体感できたことだ。「スタジアムが大きいので上から見ることができて、誰が持った時にどういう動きをしているかとか、そういうのを何回も見たことで、今の自分があるんじゃないかなと思います」と当時を振り返る古川が、とりわけ参考にしていたのはペドロ。サイドハーフが主戦場だった彼は、「献身的なディフェンスだったり、マークを外す動きだったり、両足でシュートを打てる所とか見習う部分が凄く多かった」ペドロのプレーをスタンドから食い入るように見つめた。「あそこで海外基準を体感できたというのは良い体験だったと思っています」。“バルサ”の話になると自然と笑顔が増える。

 日本人監督が率いるクラブへ移籍した3年目のシーズンは、ケガに悩まされたこともあって、なかなか出場機会を得られず、4年目のシーズンはカタルーニャ州2部を戦うクラブに移籍。同じカテゴリーのリーグ戦では「家が近かったこともあって、何回か交流したこともあったんですけど、やっぱりバルサにいる選手なので良い刺激ももらいました」という久保建英とも対戦する機会があった。古川のチームもかなりの実力を有しており、FCバルセロナとの直接対決は引き分けだったが、最終的には得失点差で彼らに優勝をさらわれる。それでも2位に入ったことで1部昇格が決定し、確かな手応えを掴んでいたこの時期に、予想だにしない出来事が古川に訪れる。

 2014年4月。未成年者の国際移籍を禁止する規定に違反があったという理由で、FCバルセロナにFIFAから移籍市場での活動停止命令が下される。これにより、同クラブに在籍していた18歳未満の外国籍選手の公式戦出場が制限される事態が勃発。同じカタルーニャ州のリーグに籍を置く古川のチームでも、彼の公式戦出場が難しくなる可能性が出てきてしまったという。自身の今後について不透明な状況が続く中、家族との話し合いの末に「シーズンが始まってしまったらもう移籍はできないし、そこで1回登録されてしまって途中で公式戦に出られないとなったら、1年間を棒に振ることになってしまうので、それだけリスクを冒すんだったら、日本に帰ってやってみるのもいいんじゃないのか」という結論を下し、日本への帰国を決断。4年間に及ぶスペイン生活は意外な形で終止符が打たれた。

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