30歳サラリーマンがJリーガーを目指す!?(『それ自体が奇跡』第1話)
ゲキサカ / 2017年12月21日 19時59分
30歳、結婚3年目、共働き。
夫は本気のサッカーを目指し、妻は違う男に惹かれ始めた。
初めて訪れる危機を二人は乗り越えられるのか!?
夢を追うすべての男女に贈る、話題の小説「それ自体が奇跡」をゲキサカで1月10日まで限定公開!
始まりの日
「サッカーをさ、やりたいんだよ」と貢(みつぐ)が言い、
「いいんじゃない?」と綾(あや)が言う。
貢と綾。田口夫妻。結婚三年めになる。
みつば南団地D棟五〇一号室。居間のソファに座っている。向き合ってはいない。並んでもいない。ななめの位置。
午後八時。二人にしては早い。この時刻に二人がそろい、夕食をすませてそのソファに座れることはあまりない。今日だから、それが可能になった。
「ただやるだけじゃなく、本気でやる。高いレベルで」
「どういうこと?」
「大学の先輩がチームを立ち上げたんだ。もとはOBのチームだったのをひとまわり大きくした。それで声をかけてくれたんだ。こっちの事情も知ってたみたいで」
「これまでとはどうちがうの?」
「まず企業のチームではない。クラブチーム。で、近い将来のJリーグ入りを目指す。四、五年でそうしたいと、その先輩は考えてる」
「プロになるってこと? 貢、もうすぐ三十一だよ」
「おれがプロになるって話じゃないよ。そのときまではさすがにプレーできないだろうし。たださ、力になってほしいって言うんだよ」
「力になんてなれるの?」
「試合を何度か観に来たみたいで、どうにかやれると判断したらしい」
「会社とはまったく無関係ってことなんでしょ?」
「うん。関係はない」
「お金とか出るの?」
「出ないよ。プロを目指すけど、立場はアマ。みんな、働きながらやってる。だからこれまでとそんなには変わらないよ」
「変わるでしょ。仕事が疎かになるに決まってる。いい顔だってされないよ。試合はまた土日なんでしょ?」
「うん」
「じゃあ、無理じゃない。試合のたびに休ませてくれって言うわけ? 考えてよ」
「考えたよ」
「絶対ダメ。去年までだって、遊びの感じではなかったわけじゃない。でも一応は会社の部だし、息抜きにもなるからいいと思った。その上はやめてほしい。断ってね」
「いや。もう受けた」
「え?」
「話を受けた」
「何それ」
「やっぱりサッカーは、やりたいから」
「同好会とか地域のチームとかにしてよ」
「クラブチームは地域のチームだよ。東京二十三区にJリーグのチームをつくろうって、そこから始まった話みたいだし」
「町ぐらいの規模にしてって言ってるの。ここにも子どもたちのチームがあるじゃない。そういうとこで教えるとか、せめてその程度にしてよ」
「教えるのはいいよ。そんなに興味がない」
「何で相談してくれないの?」
「いや、だから今こうやって」
「こういうの、相談て言わないよ。ただの報告じゃない。事前にするのが相談でしょ。やっぱりやめますって言ってきて。妻が反対したんでって言っちゃってもいいから」
窓を開けてもいない団地の居間に風が吹く。初めて吹く類の風だと、貢と綾、どちらもが感じる。
「無理ってことはないと思うんだ。チームのほかの人たちはやってるわけだし」
「土日休みだからできるんでしょ。貢の大学の出身者ならいい会社に勤めてる人も多いだろうし」
「チームにいるのはウチのOBだけじゃないよ。上を目指すってことで、オープン化した。今は元プロもいるよ」
「だったら、わざわざ貢に声をかけなくてもいいじゃない」
「でもかけてくれたんだからうれしいよ」
「うれしいです。ありがとうございます。でもやれません。そう言って断って」
「レベルが高いとこでプレーできるなら、やれるうちはやりたいよ」
「もうやれるうちではないでしょ。三十で、働いてて、結婚もしてて。それをやれるうちなんて言わないでよ」
一月一日。二人が勤める百貨店唯一の定休日。夫婦の一年が始まる。
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