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W杯で世界一を狙うデフフットサル日本代表候補に急浮上した前橋育英OB鎌塚剛史に直撃インタビュー

ゲキサカ / 2019年2月28日 17時50分

――ポジションは
 サイドハーフです。渡邊も同じポジションでしたが、同じチームで争ったことはありません。3年生になると朝練が毎日、ランニングでした。3年生だけ全員、体育館で。チャイムが鳴るまで体育館の200mぐらいのコースをずっと走っていた印象が残っています。でも今思えば、前橋育英に入って本当によかった。大勢の部員の中でしかもほとんどの選手がレベルの高い選手ばかりで、3年間サッカー漬けの生活。とても刺激になりましたし、技術も自然に上達して、僕にとってとても大きな収穫です。

――当時から耳の調子はよくなかったのですか?
 幼稚園のときに難聴に気づいて、そこから補聴器をつけています。補聴器をつければ会話ができますが、外したら聞こえづらくなる。ただ、(前橋育英の)監督には耳が聞こえづらい、とは言ってません。言いたくないというより、言う必要もないのかなって思って。チームも(障害があるないに関係なく)1人の選手として接してくれました。
相手を抜き去る鎌塚(左)
――卒業後もサッカーを続けたのですか?
大学(大東文化大)でも続けたかったんですが、セレクションで落ちてしまったんです。正直、受かると思っていたがダメでした。だいぶ、落ち込みました。

――そこでサッカーをやめようとは思わなかったのですか?
 純粋にまだボールを蹴りたい、という思いがあったので、埼玉県の社会人リーグでやらせていただいていました。ただ、大学3年生でキャンパスが都内に変わってしまうのでチームの練習に参加するのが厳しくなり、サッカーをやめて、フットサルをはじめました。群馬県1部のベルファーダというチームでお世話になりました。

――イタリア行きはどうやって決まったのですか?
 以前から海外に行きたいと思っていて、サッカー留学をあっせんする会社(ユーロプラス)に相談していました。ユーロプラスさんは特にスペインとイタリアに太いパイプがあって、スペインは現状、クラブがなくなったりして給与や生活面を考えると安定してプレーしづらい面があったのでイタリアに決めました。1年目の昨年はセリエCのオルヴィエートFCとプロ契約しました。2年続けて同じクラブにいるつもりはなかったので、現地のコーディネーターに相談して今季からフットサル・カペッツォに移籍しました。去年より明らかにチームのレベルが高く、いい刺激になっています。自分よりレべルの高い選手と一緒にいると、明らかに成長しているのがわかって楽しいですね。

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