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『SEVENDAYS FOOTBALLDAY』:初心(奈良クラブ・有薗真吾)

ゲキサカ / 2019年3月25日 20時44分

 ところが、その縁には続きがあった。九州で行われたセレクションに落ちてしまった有薗に、古巣から声が掛かる。「U-23のコーチだった木村直樹さんから『落ちたらどうするんだ』と言われた時に、『その後は考えていないです』と正直に言っていたんです。それで『本当はダメだけど、落ちたんだったら戻って来てもいいぞ』と声を掛けていただいたので、木村さんからもう一度チャンスを戴いた感じでした」。

 それまで以上にスイッチが入る。木村さんのために。草津のために。そして、まだ何者でもない自分のために。2009年8月。クラブは有薗のトップチーム昇格を発表する。与えられた背番号は、その時のチームで一番大きな32番。9月27日。“北関東ダービー”に当たる、J2第42節の水戸ホーリーホック戦でJリーグデビューを果たし、チームの完封勝利に貢献。12月5日。これまた“北関東ダービー”に当たる、J2第51節の栃木SC戦でJリーグ初ゴールを記録。このシーズン終盤の活躍を経て、翌シーズンの契約も勝ち獲ることになる。縁も所縁もなかった草津の地へ降り立って2年。「いろいろな人に支えられて今があるのかなとは思います」と振り返る“あの頃”が、有薗の今にとってもかけがえのないものであることは言うまでもない。

 監督が変わり、チームメイトの顔ぶれが変わり、それこそクラブの名前が変わっても、彼は“草津”の選手であり続けた。自らを取り巻く環境も変化し、選手寮のある前橋へと移り住んでからも、定期的に草津を訪れていたそうだ。「草津に行くことが自分にとってのリフレッシュだったし、その移動に掛かる2時間も苦ではなかったですから」。2015年11月。クラブは有薗のそのシーズン限りでの契約満了を発表する。7シーズンで積み重ねたリーグ戦の数字は97試合3得点。何物でもなかった1人の青年は、れっきとした“有薗真吾”というプロサッカー選手となり、そしてプロサッカー選手であるがゆえに次の仕事場を求め、数々の思い出に彩られた彼の地を去っていった。

 以降のキャリアは有薗に安住を許さない。2016年は町田。2017年は秋田。2018年は北九州。2019年は奈良。毎年のように所属するクラブも、住処を置く土地も変わっている。その中で1つだけ毛色の違う移籍は、秋田から北九州へのそれ。2017年シーズンに杉山弘一監督の元で劇的なJ3優勝を飾ったチームにおいて、彼はリーグ戦の全試合に出場するなど絶対的な中心選手として躍動していた。その理由の一端を本人はこう説明する。

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