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【令和を迎えて】ソーシャルフットボール元日本代表・小林の告白「病気をカミングアウトした理由」

ゲキサカ / 2019年5月7日 18時16分

昨年イタリアで行われたワールドカップに出場したときの小林(右)

 令和時代がはじまり、新時代をリードする期待の若手選手を7人紹介する連載の最終回は精神障がい者によるフットサル、ソーシャルフットボール元日本代表の小林耕平だ。

 小林のSNSを開くと、最初にこんな記述が登場する。

「今まで色々検査を受けて今日結果が出ました。

自閉症スペクトラム
LD(学習障害)
境界知能 
うつ病 
PTSD

沢山の病名が付きました(笑)それでも変わらず小林は小林らしく生きていこうと思います」(原文ママ)

 3月6日、診断名がわかった後にアップしたが、そこには自身が患っている精神疾患の病名がズラリと並んでいた。昨年、名門・バルセロナからヴィッセル神戸に移籍したアンドレス・イニエスタがロシアワールドカップ前の5月と来日した後の11月にうつにかかっていたことを公表し、ニュースにもなった。どんな頑強な人間でも患う可能性があり、大体100人に1人はかかっているといわれている。しかし、日本では決していいイメージでとらえられるこはない。そんな状況をわかっていながらなぜ、小林はあえて公表したのだろうか。

「(精神疾患に悩む人が)普通にいるんだ、ということを知ってほしかった。身近なところから変えられるかなと思ったんです。『そう見えんな』、でも、『ああ、いるんや』と。社会には精神疾患に悩む人だけでなく、耳が聞こえない人もいますし、義足使っている人もいます。でもそれって、人間であることには変わらない。それをちょっとでも伝えたいと思ったんです」

 小林はまだ26歳。病にかかった直後からこの境地にいたったわけではない。小林は小学校の頃からサッカーをしていたが、中学になると人間関係に悩んだ。仲間と衝突し、練習前に嘔吐することもあったという。次第に引きこもりになり、中学は何とか卒業したものの、高校では途中で退学してしまった。そこで「自分を変えよう」と思ったとき、ソーシャルフットボールの存在を知り、飛びついた。その後、通信制の高校から普通の4年制の大学に行ったが、卒業できずにまた退学。今は通信制の大学に通っている。

 救いを求めて駆けこんできた小林を受け入れたソーシャルフットボールのクラブ、YARIMASSE大阪の代表で、監督をつとめる真庭大典氏は20年間、病院の現場で精神障がい者と向き合ってきた現役の看護師だ。

「当時の小林はちょっと肩に力が入りすぎていて、年下なのに年上の人に生意気な態度を見せたりしていました。結局、弱いところを見せたくなかったんでしょう。自分で外に対して『壁』を作ってしまっていました。でも最近は人の話を聞くようになったし、人の輪に入るようになってきた。フットサルを通して、自分の社会的な位置が見えるようになってきていると思います」
前列右から2人目が小林耕平
 転機は2つあった。ひとつは2016年、かねてから夢見た海外でのプレーを実現させるために、小林自ら現地の人にコンタクトをとり、スペインに1か月滞在したことだ。

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