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「この日本人は誰だ」…レガネスDF井手航輔、アメリカ出身21歳が持つビジョン

ゲキサカ / 2019年7月19日 20時0分

――スペインで新たな発見はありましたか。
「ドイツよりもスペインではパス回しをするので、タイミングを見て裏に抜けられるし、自分の攻撃参加をより生かせます。それにドイツでは体格のことで練習にも参加できないことがあったけど、スペインではスキルを見てくれる。正直、自分が通用しないと思っていた国で評価されるのは嬉しいし、やっぱり来てみないと分からないことでした」

――これまで多くのクラブでプレーしていますが、うまくいかなかった時期もあると思います。
「LAギャラクシーには中学の頃に加入して、4年半から5年間在籍しました。U-16世代のときにU-18世代に飛び級でプレーさせてもらい、先発でも使ってもらっていましたが、シーズン後に解雇されてしまった。その後、一番最初に所属していたローカルクラブに戻り、併用してサンタアナウィンズというセミプロチームでもプレーしていたけど納得いくレベルでプレーできませんでした」

――そこで、ドイツに渡るという選択をします。
「自分の中でどうしてもプロになりたい気持ちと、自分はもっとできるという気持ちがあったので、海外にサッカー留学したい気持ちが芽生えてチャレンジすることにしました。留学するときに両親からは反対されましたが、23歳で東京五輪に出場できなかったら引退するという話をして納得してもらった。でも、ドイツに渡ってからも何度か挫折しそうなときはありました」

――どのような経験をしたのでしょうか。
「最初はドイツ4部のアーヘンに加入して半年間プレーしましたが、最後の1か月半はケガをしてしまい契約更新できず、当時の代理人に7部のチームを紹介されましたが、『そこではやりたくない』と話したら、『それなら、もう協力はできない』と言われ、そこからは自分でチームを探すようになりました。5部のトライアウトに行ったときには、まず監督に自分を見られて『DFなのに小さいし、体格もよくないから練習に参加しなくていい』」と練習前に弾かれることもあった。ドイツで自分はやれるだろうと思っていたレベルでやれていなかった歯がゆさはありましたね」

――日本でプレーする選択肢は?
「ドイツに渡る前にアメリカか日本の大学に入学して大学でサッカーをやるという考えはあったけど、それはサッカーをやりたくて日本の大学に入るのではなく、学業を第一に考えた選択でした。でもサッカーをしたい気持ちが強かったし、プロサッカー選手になりたかった。自分が世界のトップレベルの国、トップレベルのチームでプレーしたい気持ちがあったので留学を選択しました」

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