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「この日本人は誰だ」…レガネスDF井手航輔、アメリカ出身21歳が持つビジョン

ゲキサカ / 2019年7月19日 20時0分

――「プロサッカー選手になる」という強い意思がこれまでの原動力になって、いろいろなものを乗り越えてきたと感じます。
「今までサッカーを諦めようと思ったことや選手として情けないと思うことは何度もあったけど、自分の夢、自分の中でのビジョンは自分がサッカー選手として影響力や発信力がないと近付かないので、心が折れそうになってもサッカーを辞めようとは思いませんでした」

たとえ誤差が生じても
自分の理想に向かっていく

――プロを目指し始めたのはいつ頃ですか?
「サッカーを始めてドイツに住んでいたとき、06年のW杯準決勝ドイツ対イタリアをスタジアムで見て、自分もここでプレーしたいと思ったのがきっかけです。観客が一つになったときの熱気がものすごく、自分もこのフィールドに立って、人を感動させられるような選手になりたいと思い、プロサッカー選手を目指すようになりました。ただサッカー選手になるのではなく、プロになって、多くの人に感動やサッカーの楽しみを伝えていけるような選手になりたい気持ちがあった」

――レガネス加入時に10年後、15年後、将来のビジョンが出来上がっていると答えていました。
「サッカー選手としての一番の理想のキャリアは、自分が28歳のときにアメリカ、カナダ、メキシコで行われるワールドカップに日本代表として出場して優勝したい。それが、常に自分の夢で、理想のキャリアですが、サッカー選手として通用しなかったとき、理想とまったく通用しなかったときの中間のときのことも考えています。今はサッカー選手としてはまだまだ未熟ですが、自分の理想のキャリアに向かって進んでいます」

――現役引退後、将来のことはどのように考えていますか。
「自分がサッカー選手として、ある程度の名前を残し、選手としての地位を確立したときには、その先のビジョンがあります。自分の名前、影響力、発信力を使って日本とアメリカ、日本とヨーロッパをもっと身近にすることが自分のミッションだと思っています。例えばサッカーで言うと、自分は特殊な人生経験をさせてもらい、特殊な経歴を持っていると思いますが、日本人選手にもっと海外を身近に感じてもらいたい。中学、高校の頃からもっと海外のサッカーに触れられる環境を提供していければと考えています」

――両親には東京五輪に出場できなければ引退という話をしたようですが、状況は変わってきたようですね。
「今はプロ契約を勝ち取って、両親もある程度納得してくれています。今までの自分の状況では東京五輪に出場できなくて当たり前の選手でしたが、プロ契約をしていただいて、少しだけ近付いたと思う。大きなことは言えませんが、目標にしてきた一つなので、もちろんそこは目指します。ただ、五輪に出場できなかったときのことも考えています。アマチュアからプロ契約になったことは大きなステップだと思いますが、それは自分がどうしたらそこまで行けるかを考えた結果です。だから、次の誤差が生じても、自分の理想にどう追い付けるかを別の角度から考えて向かっていきます」

――一番近い目標を教えてください。
「新シーズン、レガネスのトップチームで出場するのは一番近い目標にあるし、それができたら自ずと五輪代表も少しずつ見えてくると思っています。成長できる環境をレガネスの方々が与えてくれているので、努力を続けてもっと成長したいです」

(取材・文 折戸岳彦)

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