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「僕にはF・マリノスしかない」横浜FMユースからトップ昇格の望月耕平はアカデミーで育った8年間の恩返しを誓う

ゲキサカ / 2024年12月25日 20時0分

――もともとF・マリノスにはどういうイメージを持っていたのでしょうか?
「小学生のころはそこまで強いイメージはなくて、父が読売クラブに通っていたので、その流れで『読売に行く』という流れを想定していたんですけど、F・マリノスに声を掛けてもらえたので、気持ちが完全に変わりました(笑)」

――ジュニアユース追浜はスクールからの昇格ですか?
「はい。昇格させてもらいました。ジュニアユースは新横浜か追浜の両方の選択肢がある中で、追浜は固定のグラウンドもあって、練習時間もたくさん取れるので、距離的にはどちらもそれほど変わらないんですけど、そういう面でも自分の時間を作りたいと思って、追浜を選びました」

――今はトップチームで指導されている大島秀夫コーチは当時のジュニアユース追浜で指導していましたよね?
「はい。1年生の時には1つ上の代の監督でした。シーズン途中からは飛び級でそちらに参加させてもらっていたので、その時から指導していただいていましたし、最近トップに練習参加した時にも声を掛けてくださいました」

――ジュニアユース追浜での3年間で特に成長できた部分はどういうところですか?
「追浜は練習の時間が十分に取れましたし、練習が終わってからの自主練は1時間ぐらいボールを蹴っていました。奈良さん(奈良安剛監督/現・関東学院大監督)がずっと一緒に自主練に付き合ってくださって、とにかくそこで自分を伸ばす時間を作れたのは大きかったですね。その時はずっとフリーキックの練習をしていて、実際に3年間、試合でもフリーキックを蹴らせていただいていたんですけど、それは印象深いです。奈良さんもあまり見たことのないタイプの上手さでした」

――ユースでは昇格直後からゲームに出ていましたが、特に1年生のシーズンはどういう時間でしたか?
「大熊さん(大熊裕司/現・テゲバジャーロ宮崎監督)が最初から目を付けてくださって、プレミアリーグの開幕戦はメンバーに選ばれなくて悔しかったんですけど、その次の桐生第一戦からアウェイまで連れて行っていただいたので、その試合は特に印象に残っていますし、その時にデビュー戦で点も獲れたので、それは嬉しかったですね」

――1年時のプレミアでは20試合に出場して6ゴールを挙げています。手応えは早いうちから掴んでいましたか?
「かなり先輩とのレベルの差はありました。練習は緊張感もあって、レベルも高かったですし、対戦相手のレベルも高かったので、そういう面では少し遠慮していた部分もあったのですが、そこで得られた経験が今に良い形で繋がっていると思います」

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