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「僕にはF・マリノスしかない」横浜FMユースからトップ昇格の望月耕平はアカデミーで育った8年間の恩返しを誓う

ゲキサカ / 2024年12月25日 20時0分

――特に印象に残っている先輩はいますか?
「やっぱり内野くん(内野航太郎/筑波大)と晃助くん(松村晃助/法政大)はかなり印象に残っています。2人ともまったくプレースタイルが違っていて、内野くんは“ザ・ストライカー”というか、考え方も完全にストライカーだったので、それも良い刺激になっていろいろなものを盗めましたし、晃助くんだったらどこでもできるユーティリティさを持ちながら、技術も非常に高くて、そういった面でも刺激をいただきました。その年の練習の雰囲気は凄かったです。今の僕がトップの練習に参加させていただいている時に感じたような雰囲気が、当時のユースにはあったので、そこは驚きました」

――2年生からは10番を任されました。昨シーズンの1年間はどういう年だったでしょうか?
「自分もあまり思うようなプレーは出せなかったですし、チームとしても難しかったかなと思います。『自分がやらないといけない』という気持ちもあったんですけど、とにかく結果が付いてこなかったです」

――U-17ワールドカップのメンバーから落選したことは、どういう経験になっているでしょうか?
「1つの挫折ではありました。実際はあくまでも通過点ですし、ここからより自分が成長すればいいことなので、そこまで大きなこととは捉えていないんですけど、選ばれなかった悔しさもありながら、その一方で代表ではいろいろな経験もさせていただいたので、良い糧になったと思います」

――あの経験でより世界を味わいたい気持ちは強くなりましたか?
「そうですね。海外の代表チームとも試合をさせてもらいましたし、フランス遠征に行った時に対戦したフランス代表の8番だった選手(サイモン・ブアブレ)が、もうモナコで試合に出ていたりしていますし、そういうトップレベルの選手から刺激は受けたので、もう世界と戦わないといけないなという気持ちは強くなっています」

――今年はアカデミーラストイヤーでしたが、どういう1年だったでしょうか?
「トップチームの昇格が懸かった1年だったので、とにかく自分の成長を考えていました。シーズンが始まる前に掲げた目標が、個人ではトップチームに昇格すること、チームではプレミアリーグに昇格することでしたし、とにかくその目標に向かってひたむきに努力するしかなかったので、それは全力を尽くせたかなと思います。ただ、2回ぐらいケガで試合に出られない時期があったので、そこはもったいなかったですね。やはりケガは一番したくないものなので、そこに心残りはあります。あとはトップチームの練習に参加させていただいたこともあって、もう『F・マリノスの一員としてしっかりやらなきゃいけない』という気持ちは、かなりこの1年間で身に付いたと思うので、そういう部分はユースにも還元できたのかなと思います」

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