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【追悼】曙太郎は希代の名横綱なのに敵は土俵の外にいた…師匠・東関親方との対立も深刻(細田昌志)

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年4月17日 9時26分

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長野五輪開会式会場で土俵入りを披露する横綱曙(C)共同通信社

【芸能界と格闘技界 その深淵】#番外編

 曙太郎(上)

  ◇  ◇  ◇

 2024年4月、第64代横綱の曙太郎が他界した。享年54。以前から闘病中だったことはあまねく知られているが、突然の訃報にファンも関係者も驚いたに違いない。筆者の脳裏をまずよぎったのは、26年前の挿話である。

 1998年2月に開催された長野冬季オリンピック。その開会式の目玉として、東の正横綱・貴乃花光司による、横綱土俵入りがラインアップされていた。

■急病の貴乃花に代わり長野五輪で土俵入り

 世界中の視線が集まる五輪開会式において、日本の顔と言っていい貴乃花によって“国技”をアピールするまたとない機会となるはずだったが、その貴乃花が急性気道炎で倒れてしまう。突然の急病にJOCも日本相撲協会も頭を抱えたはずだ。

 その直後、「私が代わりにやります」と名乗り出た者がいた。西の正横綱・曙太郎である。自分の意思で貴乃花の代打を買って出たのだ。そこに、曙の底意をくみ取ることができる。

 曙と貴乃花とは新弟子時代の同期にして、初土俵も同じく88年大阪場所。新入幕こそ貴乃花に先を越されたが、大関~横綱昇進ではあっさり抜き返し、95年初場所以降はともに横綱として、熾烈な優勝争いを演じた正真正銘のライバル関係である。

 曙の横綱土俵入り(写真)は、海外のメディアからおおむね好意的に報じられた。日本の国技・大相撲の頂点に君臨する横綱が、実は米・ハワイ出身という意外性は、国際感覚に敏い海外メディアにとって食いつきもよく「かえってよかった」という声も聞かれたくらいである。何はともあれ、曙は、貴乃花及び日本相撲協会の窮地を救ったのである。

 にもかかわらず「初の外国人横綱」である曙に対し、日本相撲協会はどことなく冷淡だった感は否めない。92年九州場所で14勝1敗で優勝をはたし「横綱昇進間違いなし」の声も聞かれる中、横綱審議委員会は「風格、実績共にまだ十分ではない」として昇進を認めなかった。横綱空位が5場所も続いていた事実を鑑みると、賢明な判断とも思えなかった。

 横綱昇進後も「品格」という決まり文句で、何かにつけて外国人横綱は牽制され続けた。昨今の元横綱・白鵬の宮城野部屋の閉鎖騒動を見るにつけ「横綱とはいっても外国人だから」という意識が見え隠れしたことは否定できまい。いや、はっきり言ってしまえば、差別意識はあったと思う。敵は土俵の外にこそ顕著だったのだ。

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