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【追悼 曙太郎】仕掛け人が明かす「K-1」に電撃転向した3つの理由と貴乃花への絆(細田昌志)

日刊ゲンダイDIGITAL / 2024年4月19日 9時26分

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K-1「Dynamite(ダイナマイト)」でボブ・サップ(右)と対戦した曙(C)共同通信社

【芸能界と格闘技界 その深淵】#番外編

 曙太郎(下)

  ◇  ◇  ◇

 K-1プロデューサーだった谷川貞治が、2003年晩秋、東関部屋の部屋付き親方だった曙を突如訪ねたのは、以前日刊ゲンダイで連載していた「大晦日の真実」で詳述したように「大晦日にボブ・サップと戦ってほしい」という希望があったからである。

 本来なら「マイク・タイソン対ボブ・サップ」という一戦が決まりかかっていたが諸事情により断念。そこで谷川は、マイク・タイソンに代わる大物として、曙に白羽の矢を立てたのだ。

 谷川貞治が「手応えはあった」と語る理由は次の3つ。①師匠である東関親方(元高見山)との関係が修復不能なところまできていたこと。②親族にハワイの食料品や雑貨を売る店舗を赤坂にオープンさせたが、経営は赤字続きだったこと。③「興行本部長」としてチケット販売に苦労していたこと。これらに加えて、ハワイの先輩力士である小錦が「おまえには絶対に相撲協会の体質は合わない。俺みたいにタレントになれ」と再三誘いをかけていたことも後でわかった。

 谷川のもくろみは的中する。突然の来訪にもかかわらず、曙は相撲協会を退職、K-1転向を決意したのだ。「奥さんの後押しも大きかった」と谷川が振り返るように、最も近くにいる妻からすれば、興行本部長をこなしながらの部屋付き親方は、我々が想像する以上に激務だったのかもしれない。

 曙のK-1参戦は日本中がひっくり返る大ニュースとなった。師匠の東関親方も相撲協会も「よくも、恥をかかせやがって」と激怒。かつて、テレビ局のスポーツ部に勤務していた人物は、当時の東関親方の様子を次のように見ている。

「高見山っていう人は本当に人格者で、私は今も大好き。でも、このときは本当にむすっとしていたし、つらそうでもあった。あまり人と会いたがらなかった。誰かと会って口を開けば、弟子への悪口になるのがわかっていたからでしょう」

■瞬間最高視聴率43%を記録

 角界を去りK-1に参戦した曙は、1カ月半というわずかな準備期間で、大晦日のナゴヤドームのリングに立った。しかし、付け焼き刃で成功するほど甘い業種でもなく、ボブ・サップの右ストレートをまともに食らい1R・KO負け。K-1デビューを飾ることはできなかった。それでも、瞬間最高視聴率43%を記録し、大晦日に放送した民放のテレビ番組の中で史上初めて、NHK紅白歌合戦を抜いたのは、誰あろう、曙の功績以外何ものでもない。

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