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始まりは「ティラミス」の爆発的人気だった…日本の〈スイーツブーム〉を牽引した「90年代生まれスイーツ」を一挙紹介【歴史】

THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン) / 2024年4月5日 7時0分

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(※写真はイメージです/PIXTA)

ときに社会現象となるほど注目され、私たちを魅了してやまない「スイーツ」。日本で長く続く「スイーツブーム」の始まりは1990年代だった、と作家・生活史研究家である阿古真理氏は言います。阿古氏の著書『おいしい食の流行史』(青幻舎)より、スイーツの変遷を見ていきましょう。

雑誌『Hanako』が牽引した「ティラミス」ブーム

バブル期を象徴するスイーツといえば、ティラミスです。2018(平成30)年に放送された朝ドラ『半分、青い。』(NHK)で、バブル期に東京へ出た主人公を、母親が訪ねてくる場面がありました。漫画家修業中だった娘の師匠は、母親に気を使ってイタリア料理のレストランのチケットを渡します。岐阜の小さな町に住んでいた母親にとって、初めて話題のティラミスを食べたことは、長年の思い出になっていました。

ティラミスブームのきっかけは、『Hanako』(マガジンハウス)1990年4月12日号で、「イタリアン・デザートの新しい女王、ティラミスの緊急大情報 いま都会的な女性は、おいしいティラミスを食べさせる店すべてを知らなければならない。」という煽情的な見出しで、レストランを紹介したことです。

また、『女性自身』(光文社)も同年4月17日号で、ティラミス特集をしています。影響力のある情報誌と全国誌がほぼ同時に取り上げたことで、ブームは一気に盛り上がっていきます。ほかのメディアも追随し、ティラミスに使われるチーズは、「マスカルポーネ」ということや、イタリア語の名前は「私を元気にして」という意味であるといった、周辺情報も伝播しました。

当時、イタリア料理はブームの真っただ中でした。フランス料理の流行は、本場で修業した料理人たちが最先端のヌーベル・キュイジーヌを持ち帰ったことがきっかけで始まりました。ヌーベル・キュイジーヌはヨーロッパを中心に広がり、各地の料理に革新を起こしていきます。

遠いところでは、香港でもヌーベル・シノワが起こっています。当時の香港はイギリス領で、欧米人がたくさん住んでいたことも、新しい中国料理が生まれる要因だったかもしれません。ともかく、料理を現代的により軽いものにし、より鮮度が高い食材を使う、といった形で刷新するムーブメントはヨーロッパを中心に広がり、イタリアでも、ヌオーヴァ・クチーナと呼ばれるムーブメントが起こっています。

その中へ、日本の料理人たちも修業で訪れています。帰国した彼らを中心に、斬新なスタイルのレストランが続々と誕生します。

『日本イタリア料理事始め─堀川春子の90年』(土田美登世、小学館、2009年)によると、約100坪もあるすり鉢状の店内の中央にオープンキッチンをしつらえ、カウンターに取れたての魚介類を並べた「バスタ・パスタ」は、原宿で1985年に開業しました。1989年に恵比寿で開業した「イル・ボッカローネ」は、イタリア人のホールスタッフらが、「ボナセーラ」とイタリア語で挨拶しました。派手な演出で盛り上げる店が東京に次々と誕生したことも、人気を呼んだ要因でしょう。

お笑いコンビのとんねるずが、おもしろおかしくテレビ業界の話をしてウケていた時代です。その前からパスタブームが訪れていたこともあり、イタリア料理は、業界人っぽく「イタ飯」と呼ばれて大流行しました。

当時、赤坂の「グラナータ」TBS店の料理長を務めていたのが、のちに銀座に店を持ちお値打ちイタリアンを出す落合務です。『日本のグラン・シェフ』(榊芳生、オータパブリケイションズ、2004年)によると、1989年のクリスマスに一日で500万円を売り上げる伝説をつくりました。ですから、雑誌が特集する前にも、イタリア料理を堪能した人たちは、ティラミスを知っていたのです。

『ファッションフード、あります。 はやりの食べ物クロニクル1970-2010』(畑中三応子、紀伊國屋書店、2013年)によると、レストランのデザートだったティラミスを、洋菓子店がこぞってテイクアウトできる洋菓子として売り始め、アイスクリームショップ、ファミレス、ファストフードのメニューにも登場します。

『Hanako』特集から半年後には北海道の原野にある喫茶店でも、ティラミスを売るようになっていたそうです。ブームにあやかろうと、1991年には大手メーカーがこぞってティラミス味の食品を売りました。チョコレート、菓子パン、ドリンク、キャンディーなど。なぜか、コロッケやスープ、テリーヌなどの食事メニューでも、マスカルポーネチーズを使ってティラミス味と、謳う料理が登場したそうです。

舞台裏を描いた『銀座Hanako物語』(椎根和、紀伊國屋書店、2014年)によると、当時ニューヨークでティラミスが大流行していたことから、女性編集者が発案した企画だったそうです。この編集者はその後、数々のスイーツを特集し、ブームに火をつけていったともあります。確かに、1990年代にはたくさんのスイーツが流行しました。

タピオカ、ナタデココの登場で盛り上がる「スイーツ」ブーム

次に出てきたのは、キャッサバのデンプンが材料の、丸いパール状のタピオカ。最初のブームのときは、タイ料理店のデザートとして人気でした。それから大きなブームになったのが、ナタデココ。ココナッツジュースを発酵させた食材で、タピオカと同様、クニュクニュした食感が売りです。

ナタデココは、1992年にファミレスのデニーズがデザートメニューに登場させ、流行に火がつきました。『ファッションフード、あります。 はやりの食べ物クロニクル1970-2010』によると、さまざまな飲食店で出されたほか、ビン詰めや缶詰が爆発的に売れたそうです。

産地のフィリピンでは特需景気が起こったのですが、生産体制が整った頃にナタデココのバブルが崩壊し、フィリピン側には莫大な負債と無用になった工場が残り、熱帯雨林の伐採などの環境破壊を引き起こしてしまいました。日本のブームが悪影響を与えた、悲しい事件でした。ただ、ナタデココについては、今もゼリーに使われるなどして生き残ってはいます。

タピオカは、2019(令和元)年にタピオカ・ミルクティーとして再ブレークしたことをご存じの方も多いでしょう。このときはティラミス以来ではないかと思われるほどの大流行で、全国各地にタピオカ・ミルクティーのスタンドができました。タピオカ・ミルクティー味のアイスも出ています。

2010年代後半からアメリカなど世界各地でブームになっており、日本では、少し遅れて流行しました。台湾からタピオカ・ミルクティー店のブランドが続々と進出したことがきっかけです。このブームは、アイスティーが主力だったことから秋冬は静かになっていましたが、2020年の春先に盛り上がりかけました。

しかし残念ながら、コロナ禍が広がり、飲食店が軒並み休業し外出も控える事態になったことから、流行の火は消えてしまいました。

平成の初め、アジア発のお菓子が流行ったことで、それまでお菓子については、「洋菓子」「和菓子」と呼んでいたのが、呼び名に困る事態が発生しました。その呼び名を最初に提案したのはまたしても『Hanako』で、1991年以降、くり返し「スイーツ」と見出しに使っています。ただ、本格的に定着したのは、2003(平成15)年に自由が丘に開業した「自由が丘スイーツフォレスト」がきっかけです。

今もなお愛される、90年代に登場した「大人気スイーツ」

1990年代のブームは、まだたくさんあります。『ファッションフード、あります。 はやりの食べ物クロニクル1970-2010』と『増補改訂版 西洋菓子彷徨始末 洋菓子の日本史』(𠮷田菊次郎、朝文社、2006年)で確認していきましょう。ヨーロッパのスイーツで、『Hanako』が1991年に推したのは、生クリームを使い濃厚なプリンといった味わいのクレーム・ブリュレです。

こちらは表面に砂糖をまぶし、バーナーであぶったフランス料理のデザートで、ポスト・ティラミスと期待されましたが、それほど大きなブームにはなりませんでした。その後、2001年に公開されたヒット映画『アメリ』で、主人公のアメリが好きなこととして、クレーム・ブリュレの表面のカラメルを砕く行為が挙げられ人気になります。

大阪のチェーン店「りくろーおじさんの店」で売り出した、「焼きたてチーズケーキ」も人気になりました。

1992年にはカルト的な人気を誇ったアメリカ映画『ツイン・ピークス』で主人公のFBI特別捜査官が朝食にするチェリーパイが、ごく短い間、流行しました。同じ年、イタリアンデザートのパンナコッタも人気になりました。

フランスのボルドー地方の伝統的なお菓子、カヌレも流行しました。こちらはパン屋で売られ続け、ここ3、4年、専門店が出現し再流行しています。大阪で創業した専門店「マネケン」から流行が広がったのは、ベルギーワッフルです。

日本ではそれまでワッフルといえば、新宿中村屋がクリームパンと同時に発売した、柔らかい生地にカスタードクリームを挟んだものでしたが、このとき広がり定番化したのは、固く焼いたワッフルです。東京にも銀座などに進出し、長い行列ができました。

フランスのブルターニュ地方で、残ったパン生地でつくったのが、クイニー・アマンです。こちらも、フランスパンを売りにするパン屋などで今でも買うことができます。さらに、マカオのエッグタルトも一時的に流行しました。最近は、台湾スイーツとしてタピオカ・ミルクティーの店などが売っていて人気があります。

カスタード生地のスイーツはどうやら人気が高く、クレーム・ブリュレやカヌレ、エッグタルトがこうした生地を使っています。プリン自体も、1993年に名古屋から東京に進出した「パステル」のなめらかプリンが人気になりました。トロトロのなめらかプリンはやがて、プリンの定番になるに至りますが、2019年頃から再び昔懐かしい固めのタイプが流行し始めています。そこには、昭和スタイルの喫茶店ブームも影響しているようです。プリンは、喫茶店の定番メニューの一つですから。

阿古 真理

作家・生活史研究家

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