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恐ろしい…ルイ14世が密かに〈ヴェルサイユ住み貴族〉へ課した“フランス版参勤交代”

THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン) / 2024年4月6日 8時0分

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(※写真はイメージです/PIXTA)

ルイ14世は、自身が造営したヴェルサイユ宮殿に有力貴族を住まわせ、最先端のファッションを強く奨励しました。贅沢を体現する宮殿生活は、現代人からすると夢のような生活に思われますが、その実態は意外にも…? 歴史系YouTuber・まりんぬ氏の著書『思わず絶望する!? 知れば知るほど怖い西洋史の裏側』(佐藤幸夫氏監修、KADOKAWA)より一部を抜粋し、見ていきましょう。

華やかな「ヴェルサイユ住み貴族」のキツ~イ実情

あなたはドレスを着て宮殿で暮らしてみたいと思ったことはありますか? 美しいドレス、ダンスパーティー、そしておとぎ話に出てくるような美しいヨーロピアン調の宮殿! 想像するだけで、夢心地になってしまいますね。

しかし、実際はどうだったのでしょう? フランス国王ルイ14世時代、ヴェルサイユ宮殿には厳格なルールが存在していました。ドレスコード、悲しいほどに狭い貴族の部屋、王と会う際のエチケットなど…興味深い宮殿のリアルな世界の一部をご紹介します。

私邸を離れ、宮殿内の「クローゼット程度の極小部屋」で生活

まず、ヴェルサイユ宮殿には王族だけでなく貴族も居住していました。驚くことに、彼らはクローゼット程度のとても狭い部屋しか与えられていませんでした。もちろん自分たちの邸宅での生活の方が快適でしたが、宮殿から離れるわけにはいきません。というのも、これは忠誠を示す試練だったからです。宮殿に住み、指定の服を着て宮殿の行事に参加し、王に頻繁に接触して自己アピールすることが、彼らの出世に直結していました。もしも彼らが宮殿に姿を現さなくなったら、すぐに王は「アイツ最近見ないな、忠誠心が低い!」と判断し、重要な役職には任命しないのです。

エチケットに関しても決まりごとがいろいろありました。例えば晩餐会には、男性は剣を持って行かなければならない、初めて国王に会う際には、女性は最初と最後に3回ずつお辞儀をしなければならない、などです。

流行に合わせて「フェラーリが買えるレベル」の衣装を次々調達

また、ヴェルサイユ宮殿でのファッションは厳格なルールに縛られており、特に王に会う際の衣装は細かく指定されていました。男性は上質なベルベットや絹のコートを身につけ、女性は刺繍や宝石が施された美しいガウンを身にまとうことが求められました。というわけでマリー・アントワネットは年間300着もの高価なガウンを購入し、その衣装への予算は現代の価値にして約5億円にも及びました。とんでもない額ですが彼女はそれをオーバーして使ってしまうことも少なくなかったとか。さすがですね…。

当時の服は非常に高価でした。現代でいえば、フェラーリを買うのと同じレベルです。一握りの富裕な貴族は贅沢に服を何枚も購入することができましたが、ほとんどの貴族にとってはキツイ出費となっていました。しかも宮廷は公式行事ごとに異なる服装を要求し、身なりを整えるために多額の借金を抱え込んでしまう者が続出しました。辛い…。

宮廷でのファッションの流行は常に変化していました。1680年代から1690年代にかけてはフリンジやリボン、三つ編みなどが流行し、1710年代にはドレスのスカートが膨らんだドーム型のフープペチコートが流行りました。

服だけではありません。国王は貴族たちに、全身を超一級品で揃えることを求めました。例えばカツラの形にも流行があり、時代によってボリュームやカール加減が異なります。帽子やカツラ、靴や小物にいたるまで、全てが重要であり、マナーでありステータスの証でした。貴族たちは流行を追いかけ、多額の資産を注いで自分を飾り続けなければなりませんでした。宮廷での美しい衣装の裏には、涙ぐましい努力があったのです。

「貴族の財政を握ること」こそ、厳しいドレスコードの目的

実は、ルイ14世は貴族たちに全身コーディネートを継続する経済力がないことをよく理解していました。貴族たちにわざと浪費させ借金漬けにし、財政をコントロールすることで、自身の権力を確固たるものにしていたのです。

さらに残念なことに、当時の高価な服は清潔に保つのは難しく、洗濯することもできませんでした。高額な服を着回しできるほど持っていない貴族も多かったので、その結果、同じものばかり着ることになり、衣服からはかなりの悪臭が漂いました。

フランスが「ファッションの中心地」になったのも、ルイ14世の戦略

ところで1782年、アメリカの政治家であるジョン・アダムズが、パリに旅行する人にこんなアドバイスをしました。

「パリで最初にすべきこと。それは仕立て屋、かつら屋、靴屋を雇うことだ。あの国はファッションを支配しており、パリ以外の場所で作られたものは通用しないのだ」

実はこのように、フランスが唯一無二のファッションの中心地となったのは、国王ルイ14世の戦略によるものでした。彼は他国からの服飾関連の輸入をほとんど禁止しました。そして、絹、刺繍、レース、宝石、香水などあらゆるものの製造を奨励し、品質管理を徹底させました。また当時はスペインの暗い色の服が人気でしたが、それに対抗するために、あえて国王自身がメイド・イン・フランスの明るい色の一級品を身にまとい、国内外にフランスのファッションをアピールしたのです。次第に世界中で、パリの仕立て屋はヨーロッパで最も優れた存在と考えられるようになりました。

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【まりんぬ’sコメント】

ちなみにパリには現在でも数百年続く香水店やジュエリー会社があります。長きに渡って脈々と職人の技術が受け継がれ、パリがファッションの中心地として咲き続けてきた歴史を物語っていますよね!

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【著者】まりんぬ  歴史系YouTuber。イギリス在住。イギリスを中心に主にヨーロッパのニッチな歴史ネタを紹介し、支持を集めている。動画は著者自らが出演、ストーリーテラーとなる形式で、中世~近代の王家・貴族から庶民の話まで、多ジャンルにわたる。ゾクッとするような内容もユーモラスかつ丁寧に解説し、女性を中心とした歴史ファンに人気。チャンネル登録者数30.1万人(2024年3月時点)。

【監修】佐藤 幸夫  代々木ゼミナール世界史講師。エジプト在住。世界史ツアーを主催しながら、年3回帰国して、大学受験の世界史の映像授業を収録している。世界102ヵ国・300以上の世界遺産を訪れた経験をスパイスに、物語的な熱く楽しく面白い映像講義を展開する。2018年からは「大人のための旅する世界史」と題して、社会人向けの世界史学び直しツアーを開催。また、オンラインセミナーとして「旅する世界史」講座を実施、世界史×旅の面白さを広げている。著書に『人生を彩る教養が身につく 旅する世界史』(KADOKAWA)などがある。

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