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母はなんにもしなかったのに、宝石だけ持って行った…愛する親の形見、もらう?捨てる?「遺品整理」で後悔しないために【体験談】

THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン) / 2024年4月4日 12時0分

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(※写真はイメージです/PIXTA)

親が亡くなると、実家には大量の遺品がのこされます。思い出が詰まったものばかりでなかなか処分できないという人も多いですが、『親を見送る喪のしごと』の著者で作家・エッセイストの横森理香氏の実際の体験をもとに、遺品整理のポイントについてみていきましょう。

ノスタルジーと現実は違う…母がのこした「大量の衣服」のゆくえ

母はおしゃれだったから、おびただしい量の洋服、靴、バッグを残した。それも、秋田にいる間にあらかた仕分けなければならなかった。「カシミヤのコートは、私が美和(私の姉)のために管理することになってるから」と従姉の千津子姉さんが言うので、着物と一緒に送った。

「美和にとっては一生ものだから」と言うが、洋服に興味がない姉が、カシミヤのコートを着るとは思えなかった。まあ、千津子姉さんは母と半分一緒に育った、いわば姉妹みたいなものだから、着てくれるなら供養になる。

宝飾品や着物、高価な衣類などは死後、親戚縁者で取り合いになるという話をよく聞く。

おばあちゃんと一番仲が良く、老後の面倒を見ていた友人が言っていた。「母はなんにもしなかったのに、宝石だけ持って行った」と。その代わり、彼女は遺言で大きな土地を相続した。土地の半分は相続税で持っていかれたものの、残り半分に豪邸を建てて住んでいる。

これも親族から喧々囂々(けんけんごうごう)と非難されたらしいが、それぐらいのお世話はしていたのだ。「施設に預けてからも、毎日面会に行ってました」と語る彼女は、遺産が目的だったわけではなく、本心からお世話していた。ホントはこういう人が、遺品も身に着けるべきだと思う。

姉には母が最後に上京した際に着ていた、軽くてあたたかそうなハーフコートをあげた。まだ新しいし、カジュアルだから姉にも着られるだろう。私は母が半纏代わりによく羽織っていた、ハレルヤのカーディガンをもらった。着やすいようにわざわざ裏をつけさせたカシミヤの10万円カーディガンだ。

私も杉並の家にいた頃よく貸してもらっていたから、思い出としてとっておきたかったのだが、結局、猫の毛がつくし爪がひっかかるので、姉にあげてしまった。ノスタルジーと現実は、残念ながら違うのだ。

靴やバッグは意外と使えない…場所を取るため「潔く処分」を

靴やバッグなどの革製品は、手入れが悪いと使い物にはならないことが多い。母のものもほぼ捨てることになった。靴はサイズが同じ姉が履けそうなものだけを選んで、姉のところに送った。

靴は、どんなブランドものでも新品同様でも、保存が良くても古くなると劣化する。それに比べて草履は、何十年たっても古くならず、修理すれば使えるので、サイズさえ合えばいただいておこう。

残念なことに母の草履は大きくて私には履けないが、自分の若い頃の草履を、いまだに履いている。修理できる職人さんも減っているが、修理代自体は安いもので、何万円とする草履を買うより、ずっとリーズナブルである。

靴は、いいもので保存状態が良くても、年を取ると痛くて履けなくなる。年齢的に柔らかい、痛くない靴しか履けなくなるからだ。革製品は、何年かたつと硬くなるのでなおさらだ。ここはもったいないと思わず、潔く処分したほうがいい。なんせ、靴は場所を取る。

革のバッグもまた、場所を取る。母が最後に作らせた、オストリッチ1匹分をいろいろな革製品にして水色に染めさせたものも、ケリー型は親友にあげた。こんな大きくて重いバッグ、親友しか持てないし、似合わないからだ。

ポシェットは姪に、長財布は伯母に。私は名刺入れだけもらった。その名刺入れは、いま娘が使っている。インターンが始まり、名刺をもらう機会が増えたからだ。

広い家に住んでいて、保管場所がたくさんあるような人はともかく、使わなくなったバッグも処分したほうがいい。私は気に入ったバッグをヘビロテで使って、買い替えるときに捨てている。

こういうことができる人は遺族に迷惑もかけないのだが、母のように、新しいものも買うし、古いものも捨てない場合、遺品整理が大変だ。私は、ほとんど捨ててしまった。古くなった革のバッグは黴臭かったし、私も姉も使いそうになかったからだ。

もったいない…大量の化粧品は姉と分けた

未使用ならともかく、ちょっとだけでも使ってあったら、化粧品は肉親が責任をもって使うか処分するしかない。母は化粧品も山ほど残した。

私もいけないのだが、母が余命宣告されてから、最後のコスメと思って、エスティローダーのハンドクリームなど贈ってしまっていた。

それに、母がマジックで「保湿クリーム」と書いていた。もしかしたら、顔に塗っていたのかもしれない。「あんたのくれる化粧品は、英語ばかりで何だかわからない」とよく文句を言っていたが、アラカンのいま、わかる。おしゃれな化粧品は、字が小さくて読めないのだ。

私も試供品でもらったおしゃれ化粧品は、マジックでクレンジング、アイクリームと書いてある。確認するときは老眼鏡をかけるが、顔に塗るときは眼鏡もかけられない。

化粧品は、姉が使えそうなものを母のポーチにぎゅうぎゅう詰めて、持たせた。「あんたったら、こんなものまで……」と姉は呆れたが、捨てるのももったいないし、肉親が使ってあげたほうが供養になる。

私は、母が「保湿クリーム」と書いたハンドクリームを持ち帰った。もうこの筆跡がなくなると思うと、使い切るまでは見ていたかった。

横森 理香 一般社団法人日本大人女子協会 代表 作家/エッセイスト  

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