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有名な五重塔「八坂の塔」だけじゃない!…ここでしか見られない「珍しさ満点」の〈京都・清水坂〉の名建築10選【建築家が解説】

THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン) / 2024年4月25日 11時0分

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(※写真はイメージです/PIXTA)

清水焼の産地でもある京都・清水坂。実はこの周辺は、聖徳太子が居た時代の信仰の痕跡からモダンな建築まで、一気に見ることができる、建築好きにはたまらない「おさんぽルート」でもあります。建築家の円満字洋介氏の著書『京都・大阪・神戸 名建築さんぽマップ 増補改訂版』(エクスナレッジ)より、是非押さえておきたい「名建築」を見ていきましょう。

「清水焼」の産地でもある京都・清水坂の建築を楽しむ

清水坂は、葬送の地である鳥辺野へ至る道。その途中に聖徳太子創建と伝わる八坂の塔など古くからの信仰の痕跡が多く残る。またここは清水焼きの産地でもあった。順正は窯元の建物だったし、清水小学校へは陶工の子弟が多く通った。陶工たちの住んだ長屋も数多く残っていて、東山五条交差点北西には、今でも登り窯のレンガ煙突が残っている。そうした産業遺跡を探すのも楽しい。

01.“タバコ王”村井家の銀行建築「京都中央信用金庫東五条支店」

京阪清水五条駅から東へすぐの京都中央信用金庫東五条支店は、タバコ王村井吉兵衛の村井銀行の支店のひとつだった。村井銀行の京都の支店は、ここの他にふたつ残っている。正調の新古典主義建築で、渦巻き模様の柱頭はイオニア式、角柱にしたので柱頭もどこかしゃちほこばっているのがおもしろい。円柱にすると柱が太くなりすぎるから角柱にしたのだろう。手慣れたデザイン処理だ。それでも上にいくほど細くなるエンタシスを守っていて律儀な設計である。

02.保存状態良好なドイツ風建築「旧太田内科診療所

大和大路通りを北へ向かった旧太田内科診療所は、ドイツ民家風に見えたり、世紀末芸術ユーゲントシュティールにも見えたりする。医院にドイツ風が多いのは、医学生のドイツ留学が多かったせいだろうか。屋根、玄関庇、窓庇とも反っているのが愛らしく、玄関扉上の欄間の幾何学模様が簡単だけど美しい。保存状態が良く、大切にお使いになっているのが伝わってくる建築だ。

03.元醤油商の大型町家建築「仏亜心料理・貴匠桜」

空也上人ゆかりの六波羅蜜寺からすぐ、松原通りにある仏亜心料理・貴匠桜は、辰野醤油を販売していた醤油商・伊藤喜商店の建物。1階庇が銅板張りなのは町家としては珍しい。

第1次世界大戦で欧州繊維業が機能しなくなったとき、京都は未曾有の好景気に湧いた。そのころ木造2階建てや3階建ての大型建築が一般化した。これはその典型のひとつだ。

1923年の関東大震災の後に規模が制限され、木造大型化の道は断たれた。もし制限されなければ4階建て5階建てのアパルトマンが並ぶ街路が京都に現れたかもしれない。このあたりは平家の拠点のひとつで、後に六波羅探題の置かれた場所だ。地獄とつながっているといわれた六道珍皇寺も近く、有名な子育て幽霊飴の店はすぐそこだ。

04.アーチ窓が楽しげなドイツ民家風建築「手越医院

大和大路に戻り、八坂通りを東へ向かうと、深い軒と反りのある屋根が特徴の手越医院だ。アーチ窓の高さを揃えているので、窓の幅によってアーチの曲率が違うのがおもしろい、ドイツ民家風に見える建物だ。

05.清水焼の産地が生んだ不思議建築「旧清水小学校

八坂の塔近くの旧清水小学校は2011年に閉校したが、その後改造されて2020年に高級ホテルとなった。外観内観とも元の姿がよく遺されている。外観は頂部に瓦をおいた、スパニッシュコロニアル様式風だ。軒を少し出しているのは、雨掛りを少なくして外壁が汚れるのを防ぐ工夫だろう。軒下に並ぶ送り状の飾りは木製だが、鉄筋コンクリート校舎の軒飾りを木製でつくるのは珍しい。その軒飾りと連続するアーチ窓が響きあって小気味よいリズムを刻んでいる。

まだまだある!京都・清水坂周辺のレアな“名建築”

06.建築家・武田五一による不思議な和洋折衷洋館「五龍閣

旧清水小学校からすぐの清水順正「五龍閣」は、武田五一の住宅作品で、輸出用陶器から電気工事用の碍子メーカーへ転身した松風家の旧別邸だ。近年周辺を再整備し、この洋館を中心とした町家路地に生まれ変わった。

洋館といいながら、屋根に鴟尾が載るのは異例だし、バルコニーまわりのデザインも和風が加えられており、不思議な和洋の混合が見られるのが特徴だ。今は湯豆腐店として使われており、暖炉や照明器具など内部も見どころの多い建物だ。

07.五条坂に残る現存最古のレア建築「小川文齋家住宅登り窯」

五条坂を下った先にある小川文齋家住宅登り窯のレンガ煙突は、北側の六原公園からよく見える。五条坂の登り窯は、1971年に施行された京都府公害防止条例以後、次第に姿を消した。小川文齋は現在6代目で、京焼を代表する作陶家のひとりである。文齋窯は6室がつながった本格的な登り窯で、煙突は正方形平面の美しいものだ。途中に節があるのが珍しい。ひょっとすると、上を積み足したのかも知れない。

08.丸みを帯びたフォルムが優しげな雰囲気「金光院」

五条通りをはさんで小川文齋家住宅の斜め向かいにある金光院は屋根がむくっている。「むくり」とは、反りの反対で丸みを帯びたかたちのことだ。高台寺の有名な茶室・傘亭の屋根に似ている。茶室のように人を招き入れる親し気なおもむきが備わっている。緩やかな曲線を描く屋根は、金属で葺かれている。こけら葺きに似た、柔らかな表情がある。

富家はこけら葺きの室生寺金堂が好きだったから、それに似せたのかも知れない。富家らしい、優しい建築である。

09.なぜか出桁造りの住宅建築「河井寛次郎記念館

金光院のすぐ南の河井寛次郎記念館は、民芸メンバーの陶芸家自邸を美術館にしたものだ。内部も当時のまま置いてあり、落ち着いたひとときを楽しめる。町並みに溶け込んでいるが、建物の2階がせり出しているのは、東日本に分布する民家様式の出桁造り(せがい造り)で京町家ではない。大きな登り窯も見どころだ。

10.棚橋の貴重な石造鉄筋コンクリート造「半兵衛麩本店

当ルート最後は、京阪清水五条駅に戻る手前の半兵衛麩本店だ。構造系の建築家棚橋諒が、戦後復興のために考案した石造鉄筋コンクリート造の数少ない貴重な作例だ。石造鉄筋コンクリート造とは、型枠代わりに石を積むため構造的に強くなり、型枠の節約にもなり、しかも積んだ石が外壁仕上げを兼ねるという工法だ。石積みの表面が荒削りなので、柔らかくて暖かい印象を与える。

円満字 洋介 建築家

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