天皇の元服→定子の入内→藤原道隆の摂関就任…異例の〈スピード展開〉のウラにあったそれぞれの思惑と「中関白家」短くも絢爛たる栄華の始まり
THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン) / 2024年5月5日 10時15分
(※写真はイメージです/PIXTA)
吉高由里子さんが主演する大河ドラマ『光る君へ』(NHK)が放送中です。物語は、吉高さん演じる、のちの紫式部“まひろ”と柄本佑さん演じる藤原道長の間の特別な絆を軸に進んでいきます。道長は、父・兼家の計画によって、兄である道隆と、その娘の定子の傘下に入ることに。それは雌伏のときの始まりでした。本稿では、平安文学研究者の山本淳子氏による著書『道長ものがたり』(朝日新聞出版)から一部抜粋し、国の全権を支配するために策を巡らせた兼家・道隆の思惑に迫ります。
雌伏の始まり
正暦元(990)年は、兼家一家にとって大きな変化の年だった。大黒柱の兼家が病に倒れ、7月2日、ついに他界したからである。ゆっくり、しかし確実に悪化の一途を辿る持病の症状と闘いながら、兼家は様々な手を打っていた。
彼が数十年の歳月をかけて執念で手にした権力を、他の家に移すことなく次代に譲りたい。その相手は、長男の道隆(38)しかない。それを見越して、彼はこの前年、道隆を内大臣につけていた。これは常設の大臣職ではなく、上席の左右大臣を飛び越えて摂政・関白に就くことの可能な、臨時の職である。
だが、そもそも道隆はまだ30代という若さである。また天皇との関係も、兼家が一条天皇の外祖父であることに比べ、道隆は外伯父で一段遠い。権力は弱体化するのではないか。
案じた兼家と道隆は、かなり強引な策に出た。まだ幼い一条天皇の元服、道隆の娘・定子の入内、さらに立后である。そしてこの策は、道長の身にもじかに及んだ。定子の事務方筆頭である中宮大夫に任じられ、道隆・定子の傘下に組み込まれることになったのである。
詳しく見ていこう。正暦元年正月5日、一条天皇は数え年11歳で元服した。だがこの時、彼は満年齢ではわずか九歳と半年の少年だった。体はまだ子供であったに違いない。
だが、道隆が天皇との間に兼家同様の太い絆を持つためには、定子を入内させて天皇の岳父となる必要があった。そのためには、天皇を成人としなくてはならなかったのである。
そして20日後の正月25日、道隆の長女・定子が入内した。彼女は14歳、天皇より三3歳年上だった。
内大臣殿の大姫君、内へ参らせ給ふ有様、いみじうののしらせ給へり。殿の有様、北の方など宮仕にならひ給へれば、いたう奥深なることをばいとわろきものに思して、今めかしう気近き御有様なり。
(内大臣道隆様のご長女・定子様が入内なさる時のご様子ときたら、大層な騒ぎだった。道隆様ご一家の姿勢として、正妻の貴子様などが女房勤めに慣れていらっしゃるので、控えめなのは全くよろしくないというお考えで、はやりのくだけたご様子である)
(『栄花物語』巻三)
女房は人前に出て能力を発揮し、自らの存在をはっきりと示さなくてはならない。高階貴子は掌侍としてそのように振る舞い、当時女性は敬遠しがちだった漢詩文においても、男性官人はだしの力を見せた。
またその力を見込まれて、道隆の正妻になった。彼女が自分の成功体験を子供たちの教育に注ぎ込むことは、当然である。それは彼女の使命でもあった。
一条天皇の寵妃となった定子
こうして、教養のみならず華やかさにおいてもお茶目さにおいても、きわめて女房に近い価値観と行動様式を持った妃が誕生した。知性にあふれつつ、親しみやすく、一緒にいて楽しい。定子は自信に満ち、そのオーラは内気な少年だった一条天皇の心をわしづかみにした。一条天皇のまさに寵妃となったのである。
5月5日に関白となった兼家は、その3日後に出家して政界を引退、次いで道隆が関白に就任した。「摂政」と「関白」はかなり異なる。摂政は天皇が元服前や病気で政務に当たれない時に、天皇代行として置かれ、権力をほぼ独占する役職。いっぽう関白は成人した天皇のもとに、その助言役として置かれる役職である。
今回の場合、一条天皇は元服して大人になっているのだから、道隆が関白に就任するのは当然だった。ところが彼はひと月も経たぬ5月26日、摂政に転じた。おそらく11歳の天皇は、やはり摂政が必要なほど幼かった。加えて道隆に、自ら全権を掌握したい欲望があったのだろう。
本来なら、天皇の元服と定子の入内、道隆の摂関就任は、まず兼家から道隆への摂政移譲、天皇の成長を待ち元服、次いで定子の入内という順序で、数年の時間をかけて行われるべきことだった。にもかかわらず、兼家の病の進行という都合、道隆の権力欲という我意によって、彼らはことを急いだ。かなり強引で恣意的であったと言わざるを得ない。
7月2日、兼家は亡くなった。享年62。その死を受けて、道隆一家「中関白家」の短くも絢爛たる栄華が始まった。次弟の道兼も、また末弟の道長も、それぞれの思惑を胸に抱きつつ、雌伏の時を過ごすこととなった。
山本 淳子
平安文学研究者
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