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行方不明の長男の“認定死亡”届け出「責任をきちんととって…」乗客家族、苦渋の決断… 運航会社や桂田社長の責任の行方 知床観光船事故から2年

北海道放送 / 2024年4月23日 19時24分

あの日、犠牲になった、かけがえのない人たちをしのびます。

行方不明の乗客小柳宝大(みちお)さんの父(22日)
「お前は帰ってこられないけれど会いに来ているからね、そばに来ているからね」

事故発生から2年となるきょうの追悼式。事故を忘れず、前に進む区切りとして、一般の参加も可能にしました。

現場捜索をした漁師 桜井憲二さん
「楽しいはずの旅行でひどい目にあってつらかっただろうな。残り6人見つけてあげることができなくてとても残念でした」

HBCのカメラが捉えた事故当日の観光船「KAZUⅠ(カズワン)」です。

2年前の4月23日、乗客・乗員26人を乗せてウトロの港を出航しました。

そして、3時間あまり経った午後1時21分。

「船が沈みよる。浸水して足まで浸かっている。冷たすぎて泳ぐことができない」

乗客からの電話を最後に、KAZUⅠは、カシュニの滝の沖で消息を絶ちました。

乗客乗員20人が死亡、6人が、今も行方不明のままです。

22日の追悼式の祭壇は、1000本を超える花で飾られました。

製作したのは、北海道斜里町でただひとつの葬儀会社です。

杉山卓也さん(22日)
「雪降って来たよ、雪。あしたがこんな天気にならないといいけどね、みんな来るのにね」

葬儀会社の社長を務める杉山卓也さんです。

杉山さん海洋センター
「遺族と話したのはここの奥の部屋なんだよね。それでこの体育館の方がご遺体安置」

事故当時、杉山さんは、死亡した乗客の火葬手続きや、遺体を運ぶ手配を任され、直接、家族と向き合いました。

杉山さん
「やっぱり多かったのは早くここから出たい。その中には怒りが込みの言葉だった。早くこんなところから出たい、むしろ斜里町から出ていきたいと」

家族の不安や怒り。様々な思いを受け止めた杉山さんは、家族の希望に応えるため、地元の旅行会社と協力し、飛行機で遺体を運ぶ手配などに奔走しました。

杉山さん
「(乗客家族が)帰る瞬間にここで握手をしてくれたというのが自分の中に残っている。その時の握手も力強くてぐっと来るものがあり、それは鮮明に覚えている」

23日の追悼式に参加した小柳宝大さん(当時34)の父親です。

宝大さんは、外食チェーン「リンガーハット」でカンボジアに勤務。一時帰国中、事故に遭いました。

行方不明の乗客 小柳宝大(みちお)さんの父(23日)
「あと何年健康で追悼式に来られるかわからないけど、命ある限り体の動く限り眠っているところに来るよと話しかけていました」

堀内アナレポ
「会場脇には桂田社長からの花が置かれています」

23日の追悼式には姿を見せなかった運航会社の桂田精一社長(60)。
HBCの記者にこんなメッセージが届きました。

「残念ですが、お話しできる事は告発を受けてる身なのでありませんよ」

先週、男性が、帯広市の弁護士事務所を訪れました。

北海道網走市の観光地ではしゃいでいるのは、男性の長男(当時7)です。

この翌日、母親(当時42)と観光船「KAZUⅠ」に乗り、今も2人は行方不明のままです。

男性は3月、重い決断をしました。長男の「認定死亡」を届け出たのです。

運航会社・知床遊覧船と桂田精一社長に損害賠償を求める裁判に参加することを決めたためです。

サイレンに合わせて黙とうしたあと…。

長男と元妻が不明の帯広の男性
「(桂田社長は)天候が悪くなるのをわかっていながら利益だけ優先させて出航させてしまった。その責任は本当にかなり重大であって、そこをちゃんと桂田(社長)には認めてもらいたい、認めさせたい。そして責任をきちんととっていただきたい」

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