リアル・マイケルジャクソン [Vol.7]_1993年、悪夢の疑惑報道の中、福岡に再来日! ~おっかけOL3人組とマイケルの交流実話~

インフォシーク / 2012年10月11日 17時30分

92年テンボスのマイケル&93年マイケルの帽子をゲットしたEちゃん。

8回の来日公演を成功させ、ロスに戻ったマイケルは、休む間もなく本国アメリカでのイベントや授賞式を精力的にこなしていた。

クリントン大統領就任式、アメリカンミュージックアワード、グラミー賞、スーパーボウル・ハーフタイムショウ、etcetc・・・

さらに、全米で驚異的な視聴率を誇る「オプラ・ウィンフリーショウ」の出演依頼をうけ、スリラー以降としては初のロングインタビューが実現した。

しかも、その様子はネバーランドから「生中継」され、全世界で1億人もの人々が見守ったのだ。

当時34歳。キャリアの絶頂期にいたマイケルの勢いは、とどまることを知らなかった。

おっかけの余韻でマイケルを「身近」に感じていたわたしは、いい意味でガツンと衝撃を与えられた。プライベートで遭遇したマイケルは、帽子の中の髪の毛がボサボサだったり、上着の裾からうっかりシャツがはみ出ていたり、なんとも無頓着な様子が「ぎゃあカワイイ!」なんて思ったりしたけれど、こうしてTVでみるマイケルは、どこからみても超絶スーパースターではないか!

続々届くマイケルの最新映像に、ファンの盛り上がりもピークに達するころ、8月から再開する「デンジャラスツアー」の一環で、2度の福岡公演が決定した。

2年連続の来日公演に、「日本に生まれてよかった(泣)」とわたしたちが歓喜するちょうどその頃、マイケルの人生を大きく変えてしまう「悪夢」の出来事が起こったのだ。

児童虐待疑惑。ここに書くのもおぞましい、事実無根の濡れ衣をマイケルはきせられ、世界中のマスコミがセンセーショナルにこのニュースをとりあげた。

疑惑報道の渦中ではじまったデンジャラスツアーは、マイケルの体調不良で延期が続き、無事日本に来てくれるのか、わたしたちはハラハラしながら見守っていた。

なにより、このゴシップがどれほどマイケルを傷つけているか、それを考えるだけで胸が痛んだ。

1993年9月7日、台湾でのコンサートを終えたマイケルは、大勢のファン、そして異常な数の報道陣が待ち構える中、福岡空港へと下り立った。

多くの不安や葛藤を抱えたまま駆けつけたわたしたちは、予想に反して満面の笑顔で現れ、ファンに向かって元気に手を振るマイケルに、涙がでるほど安心したのだ。

6日間の日本滞在中、マイケルは、前年に続いてハウステンボスで休暇を過ごし、2度の福岡ドーム公演を予定どおりこなしてくれた。でも、マスコミへの警戒や日数の短さなどから、プライベートのマイケルに遭遇できる機会は激減していた。

そんな中でわたしたちは、それぞれが、マイケルとの貴重な交流を果たしていた。ハウステンボスで、想いをつづった手紙と写真を手渡すことができたり、福岡で某電気ショップに出かけたマイケルから直接サインをもらったり、ホテルの窓からマイケルが投げてくれた「帽子」を見事にキャッチした。

わたしたちが遭遇したマイケルは、不思議なくらい、いつも穏やかに笑っていた。

「こんな状況でおっかけてもいいのだろうか」と常に悩み、「いや、こんな時だからこそ、いつもどおり応援するんだ!」と奮起し、ただただマイケルの笑顔を見るために走り回ったのが、1993年の来日だった。

マイケルは、日本を発った後、11月のメキシコシティで体調不良によりツアーを中断。数年がかりの長期戦になるかと思われた民事裁判は、双方の「和解」で収束を迎えた。さまざまな憶測や雑音を吹き飛ばすがごとく、マイケルが完全復活をとげ、わたしたちが再びおっかけの旅に出るのは、ここからまだ先の、1995年のことになる。

【バックナンバー】
リアル・マイケルジャクソン [Vol.6]_1992年、はじめて触ったマイケルの手に号泣する。
リアル・マイケルジャクソン [Vol.5]_1992年、はじめて目の前で等身大マイケルをみる。
リアル・マイケルジャクソン [Vol.4]_1992年、4年ぶりのマイケル来日で空港へ駆けつける。
リアル・マイケルジャクソン [Vol.3] _ファンになった頃、マイケルとの距離は1番近くて遠かった。<後編>
リアル・マイケルジャクソン [Vol.2] _ファンになった頃、マイケルとの距離は1番近くて遠かった。<前編>
リアル・マイケルジャクソン [Vol.1] _マイケルの死を乗り越えるために、ロスの追悼式へ飛ぶ。

パリス川口
コピーライター。87年来日時にマイケルのファンとなり、OL時代、同じくOLの友人とともに世界中を追いかける。96年HISTORY TOURを機に、3人は「D-PARTY」(ファミリーの意)と呼ばれ、世界各地でマイケルに会えるようになる。追悼式から3年を経て当時のエピソードを公開。

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