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幸せは道に落ちてはいない /純丘曜彰 教授博士

INSIGHT NOW! / 2014年9月18日 11時5分

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純丘曜彰教授博士 / 大阪芸術大学

/リンゴを求めて山をさまよっても、時間のムダ。確実に手に入れたければ、自分の足下に種を撒いて育てるしかない。種は実とは似ていないし、苗を育てるのも容易ではないが、諦めずに世話をし続けてこそ、いつか花が咲き、実がなる年もやってくる。/

 人がおいしそうなリンゴを持っている。自分だって、と思う。だからといって、人のものに手を伸ばしても、あなたはけっして他人のリンゴには手が届かない。それで嫉妬して、なんとかつつき落とし、盗み拾おうなどとしても、そのリンゴは、地に落ちたとたんに、ドロドロと腐って溶けてしまう。やはり自分で探そうと、あなたは山に分け入る。こんなに広いのだから、まだだれのものでもない野生のリンゴだって、どこかにあるにきまっている、と、あなたは、希望に満ちて、深い森をさまよい続ける。だが、いつまでも、一つも見つからない。あきらめて家に帰るころには、すっかり白髪の老人になっている。

 野生のリンゴ、野良リンゴなど、いまどきあるわけがない。 幸せも、同じこと。探したって、道に落ちているわけがない。いい仕事、いい結婚相手、そんなものが、そこらに転がっているわけがない。なのに、あなたは、そんな、だれのものでもない幸せに巡り会える奇跡を勝手に妄想して、今日も街を歩き回っている。しかし、それは時間のムダ。

 確実に自分のリンゴを手に入れたければ、時間はかかるが、自分で自分の足下にリンゴの種を撒くことだ。どこにも探しに行く必要などない。それどころか、どこにも行かず、だれにも踏まれないように、そこに留まり続けて、苗を守ってやらなければいけない。水をかかさず、肥料を与え、陽に当てて、五年も待てば、きっと実がなる。

 ただ、難しいのは、リンゴの種は、リンゴの形などしていない、ということ。姫リンゴのような小さなリンゴが、そのまま大きなリンゴに育つわけではない。種は、その実とはまったく違う形をしている。だから、種を見ても、なんの実の種だかわからないことも多い。それで、みんな、種には目もくれず、実ばかりを追いかけている。けれども、種だけなら、意外にそこらに落ちているものだ。とはいえ、もちろん、なんでも拾って撒けばいいというものでもない。間違った種を撒けば、まちがった実がなってしまう。ほんとうにこの種でいいのか、撒く前に、よくよく慎重に見極めないといけない。

 また、種は一朝一夕に実を付けるわけではない。芽が出るまでだけでも、数週間。まして、その後も、茎や葉が伸びるだけで、花も咲かない。それでも、毎日、毎日、ていねいに世話をし続けないといけない。たった一日でも欠かせば、葉はしおれ、虫がつき、これまでの手間も、すべてムダになってしまう。根気強く、諦めずに、育てて続けていてこそ、いつかは花が咲き、実のなる年もやってくる。

 こんな努力、あまり人に言いふらすものでもない。種を植えただけでは、芽が出て伸びるかどうかもわからない。苗でも枯れることもある。たとえ花が咲いても、実にならないかもしれない。どうせ人に言ったところで、他人は、種や苗を見ても、それが何の実になるのかわかってもらえるわけがない。わかってもらえたところで、なにか手伝ってもらえるわけでもない。逆に、花が咲き、実がなると、それだけでも目立つのだから、その実を盗んでやろうとか、落としてやろうとかいう面倒な嫉妬深い連中も寄ってきてしまう。むしろ静かに黙って、自分と家族、親しい友人たちだけで、おいしく味わい、また、来年を楽しみに、世話を続ければいい。

 いま幸せな人を見て、指をくわえて見ていても、他人の幸せは、けっしてあなたのものにはならない。幸せは、いくら探しても、道には落ちてはいない。自分で種から育てるのでなければ、自分の幸せは手に入らない。

by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰教授博士



(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。)

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