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『職業としての小説家』村上春樹(スイッチ・パブリッシング) ブックレビューvol.3/竹林 篤実

INSIGHT NOW! / 2015年9月17日 7時30分

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竹林 篤実 / コミュニケーション研究所

小説家・村上春樹はどのようにして生まれたか

1978年4月のよく晴れた日の午後に、セリーグの開幕戦を神宮球場に見に行き、ヤクルトの先頭打者ヒルトンがレフト前にヒットを打った。その瞬間に「そうだ、僕にも小説が書けるかもしれない(同書、P42)」と、村上春樹氏は思った。
これは有名な話であり、春樹ファンならどこかで目にしたフレーズだろう。本書では、その後のてん末が語られる。

村上文体の誕生秘話である。『風の歌を聴け』の初稿を書き上げた村上氏は、原稿を見返してみて「やれやれ、これじゃどうしようもないな」とがっかりしたという(同書、P44)。そこで諦めていたら、小説家・村上春樹は誕生していなかった。

小説家をめざす文学青年は、世の中に一定数いるはずだ。彼らも処女作を書き、それを読み返してみて「おもしろくない」とか「これじゃ入選しない」と思うことだろう。そして、少しでも良くしようと書き直す。

村上氏も書き直した。けれども、初稿に手を入れて直すのではなく、ゼロからやり直した。そのときの方針は「普通じゃないこと」をやってみよう(同書、P45)である。

何をしたのか。小説の出だしを英語で書いたのである。日本語ではなく英語を使うことが、次のような効果をもたらした。
「内容をできるだけシンプルな言葉で言い換え、意図をわかりやすくパラフレーズし、描写から余分な贅肉を削ぎ落とし、全体をコンパクトな形態にして(同書、P45)」いった。これにより、自分の文体を発見した。
その結果「群像」の新人賞を取り、小説家としてデビューする。普通じゃないこと、つまり英語で書き直してから、さらに日本語にすることによって、村上春樹氏の文体はオリジナリティを得たのである。


オリジナリティとは何か

村上氏は、オリジナルの定義を次のように示している。
1)ほかの表現者とは明らかに異なる、独自のスタイルを有している。
2)そのスタイルを、自らの力でヴァージョン・アップできなくてはならない。
3)その独自のスタイルは時間の経過とともにスタンダード化し、人々のサイキに吸収され、価値判断基準の一部として取り込まれていかなければならない(同書、P90~91より要約)。

問題となったオリンピックのエンブレムをこの基準にあてはめて判断すれば、どのような結果になるか。

それはさておき。新たなオリジナルが生まれるときの状況について、村上氏は次のように語る。
「(新たなオリジナル)は同時代の人の目には、不快な、不自然な、非常識的な―場合によっては反社会的な―様相を帯びているように見えることが少なくないからです(同書、P88)」

文学なら、夏目漱石やヘミングウェイのデビュー時がそうだった。あるいはビートルズが初めて登場したときの、イギリスのエスタブリッシュの反応もそうだった。

村上氏自らも、作家としてデビューした時点では、そのオリジナリティ故に、旧来の文壇からは認められなかった。それでも揺るがなかったのは、腹をくくっていたからだ。

「せっかくこうして(いちおう)小説家になれたんだから、そして人生はたった一度しかないんだから、とにかく自分のやりたいことを、やりたいようにやっていこうと最初から決めていました(同書、P97)」

村上氏はこれ以上踏み込んでいないけれど、既存の価値観念を覆すような新しいオリジナルを最初に受け入れるのは、従来のオリジナルに染まりきっていない人たち(確率的に若い人たち)、ということになるのではないか。


仕事、あるいは人生との向き合い方について

新たなオリジナルであったがゆえに、にもかかわらず(おそらくは若い人たちを中心に)圧倒的に売れたために、村上氏は日本ではいろいろと嫌な目にあった。特に、これまで自分たちが依って立ってきた価値観を崩されかねない人たちから、いわれのないバッシングを受けることもあった。ご自分では詳しく書かれていないけれど、いろいろあったのだと思う。

それでも、村上氏は書き続ける道を選んだ。人生はたった一度しかないのだから。ただ、書くことは楽しかったのだ。何しろ「どんな文章にだって必ず改良の余地はある(同書、P150)」のだから。そして氏は問いかける。
「もしあなたが何か自分にとって重要だと思える行為に従事していて、もしそこに自然発生的な楽しさや喜びを見出すことができなければ、それをやりながら胸がわくわくしてこなければ、そこには何か間違ったもの、不調和なものがあるということになりそうです(同書、P98)」

仕事をしていて楽しいですか、喜びを感じますか。これは、もしかしたら究極の質問なのかもしれない。何しろ人生は、たった一度しかないのだから。

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