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酒が本より高い国/純丘曜彰 教授博士

INSIGHT NOW! / 2016年2月6日 11時0分

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純丘曜彰 教授博士 / 大阪芸術大学

 ロバート・マッキー『ストーリー』(1997)の日本語版がようやく出版された。すでに19か国で翻訳されていながら、日本だけが取り残されていた。理由は単純。いくら名著でも、他の国はともかく、日本では部数的に出版社が儲かりそうもないから。今回の出版もAmazonを含めて書店では販売せず、その名もダイレクト出版という出版社が読者からの注文に直接に応じる。無駄な中間コストや返品コストを抑えるため。それでも、5400円+外税。この国では一夜の酔いの酒代に万札が当然だが、一生に役立つ本代にその半分さえ出そうする人は多くない。


 1867年、ドイツのレクラム社は、文化こそ国の礎、と、装丁を極端に簡素にした「文庫」というものを発明し、万人に知を解放した。米国のフォードは、製品の価格を下げても、量産効果でコストも下がり、利益が出る、という逆説的な経営方法を考案し、この「フォーディズム」のビジネスモデルは、二十世紀にあらゆる産業分野で用いられた。日本でも松下幸之助が、公園の水のようにじゃぶじゃぶと製品を作れば、だれもが豊かな文化生活を送れるようになる、という「水道哲学」こそを企業存立の使命とした。


 おかげで、いまではほとんどのものが百均で買える。知識や知恵も、文庫どころか、ネットでタダ。しかし、まさに公園の水のように、タダでも誰も飲もうとしない。小難しい古典名著や専門書など、だれも読もうともしない。一方で、なんの役に立つのかわからないようなブランド品があれこれ宣伝で売りつけられ、テレビや新聞、雑誌は、どうでもいい醜聞と雑学ばかり。収入も増えず、買い物も控えると、こんどは毎日が暇で仕方ない。


 神様や仏様が信じられた時代には、人間は死んで天国極楽へ往生できるよう、生きる間、節制精進に努めた。だが、神仏もどこやらという現代では、なにをやっても意味が無い。それで、突然に仕事を辞めて政治家に立候補したり、独立起業したり。さもなければ、アイドルになるだの、小説を書くだの。そんな才能は無いくらい自覚しているやつでも、必要も無い、役にも立たないのに、あれがはやっている、と言われれば、そこに行列し、これが売れている、と言われれば、我先に買い求める。だが、どこへ行っても、なにを買っても、君自身がなにか特別な存在になれるわけじゃない。しょせん多数のフォロワーの中の無意味無価値の一人。もっと安直なやつは、手軽にスマホでゲーム、出会いで不倫、ネットで薬物。それも酔いが醒めれば、現実があまりに空っぽで、さらに中毒の深みに落ちていく。


 昨今、世間の意味にしがみつき、自分の存在の意味を渇望するやつがいっぱい。だが、なにをやっても、どんなに功を遂げ名を成しても、人生は虚しい。それは、君に内なる「学」が無いからだ。自分自身が拠って立つ、意味を支える強固な地盤。「学」の無いやつは、まっすぐ歩くことはもちろん、まっすぐ立っていることすらもできない。まさに酔っ払い。あれこれ放言して好き勝手をやろうとするが、そのうちふらふらと自分からドブに落ち、傷だらけの前科者になる。


 この世は死の待合室。どうせ人生はムダだ。しかし、ニーチェは、神仏や他人から与えられる意味が無いこそ、自分自身で自分自身の人生の意味を打ち立てる余地があるのだ、と考えた。そして、自分自身の人生の意味を打ち立てることにこそ、自分自身の人生の意味があるのだ、と説いた。創価学会だって、もともとはまさに、価値そのものを創る、ことこそが幸福だ、という思想に基づく名称だ。


 すべての人は、自分自身の人生という物語の主人公になる義務がある。そしてまた、その物語の作者でもなければならない。君の物語は、どこかに出来合いで売り物になっていたりしない。だれかに頼めば作ってくれる、というものでもない。たとえ他人が作った物語の上を生きたとしても、それでは君が君の人生を生きたことにはならない。つまり、君は自分で自分の物語を作って、その主役を務めなければならない。


 昔から語り継がれてきた物語、小説や映画は、ただの暇潰しではない。庶民の知恵、哲学だ。自分の人生から距離を置いて鏡に映し、来し方、行く末を俯瞰する。言葉にならない思いが心を突き動かし、人生の軌道修正を迫る。専門書も同じ。自然科学でも、社会科学でも、人文科学でも、大きな展望の下に、宇宙や世間と自分を眺め直し、その意味を見極める。たしかに、「学」そのものは意味が無い。ある意味では、きわめて無味乾燥だ。しかし、その「学」こそが、日常の細々した物事の意味を支える。内なる「学」というのは、そういうことだ。


 目が見えなければ風景が見えず、耳が聞こえなければ音楽が聞こえない。同様に、「学」が無ければ人生は味わえない。酒に酔って気を紛らわしても、酔いはいつか醒める。たまには公園に行って、タダの水を飲み、ベンチに座って、季節の風を感じながら、ふだん読まないような、まともな名著古典、専門書をゆっくり読んでみないか。


(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。著書に『悪魔は涙を流さない:カトリックマフィアvsフリーメイソン 洗礼者聖ヨハネの知恵とナポレオンの財宝を組み込んだパーマネントトラヴェラーファンド「英雄」運用報告書』などがある。)

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