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イオンが手掛けた“謎の百貨店”「ボンベルタ」 密かに姿を消した理由とは?

ITmedia ビジネスオンライン / 2024年9月20日 7時20分

 そこでジャスコは、1978年度に都市計画が決定した「上尾駅東口第一種市街地再開発事業」の商業核として、伊勢甚や扇屋のノウハウを生かした新たな百貨店業態を立ち上げる方針を表明。1983年1月に同社初となる百貨店1号店「ボンベルタ上尾」を埼玉県上尾市に開業したのだった。

 フランス語「ボン(Bon)」とイタリア語「ベルタ(Belta)」を組み合わせた外資系百貨店風の屋号と業態は、都市のブランドイメージ向上に結び付く百貨店業態を要請する地元政財界や再開発組合の声に応えたものであり、ジャスコにとっても同業との差別化や専門店の誘致交渉にメリットがあった。ボンベルタの屋号は、1988年5月の橘百貨店(橘ジャスコ)建替新装開業、1989年2月の伊勢甚社名変更にあわせ、グループの百貨店共通ブランドとして発展することとなる。

 その過程で1992年3月にジャスコは従来型百貨店と一線を画す新店舗を立ち上げることとなる。それが「ボンベルタ成田」だ。

●「タヌキやキツネの出るところ」

 ボンベルタ成田は1992年3月に千葉県都市公社(現千葉県まちづくり公社)の商業核として開業。開業当初は4フロア、店舗面積は1万8500平方メートルであったが、郊外型百貨店としては日本最大級の規模を誇っていた。

 ボンベルタ成田では、首都圏郊外の新興住宅地「成田ニュータウン」という立地特性を生かし、イオンが当時合弁事業として展開していた外資系「ローラアシュレイ」「ボディショップ」といった日本では新進気鋭のブランドに加え、老舗呉服系百貨店との力関係を背景に総合スーパー系への入居に消極的だった、いわゆる百貨店アパレル「三陽商会」「オンワード」「レナウン」のブランド、ダイエー系食品スーパー「マルエツ」を始めとする日常利用を想定した専門店を多数導入するなど、百貨店とモールの融合を志向した。

 開業当初の商圏は成田市と近隣町村であったが、本館5階駐車場フロアへの増床や複合アミューズメント施設「ジャスコスペースレーン(現ラクゾー)」の導入、成田空港最寄りという立地特性を生かしたドル紙幣の受け入れを行うなど、ユニークな試みを打ち出すことで集客力向上を図った。

 さらに、1999年10月にはイオン系外資系大型家具インテリア雑貨店「Rooms To Go」と家電量販店「石丸電気」を核とする別館2棟を新設。店舗面積の制約から実現困難だった家具家電を導入することで、衣食住のフルライン化を果たした。

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