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イオンが手掛けた“謎の百貨店”「ボンベルタ」 密かに姿を消した理由とは?

ITmedia ビジネスオンライン / 2024年9月20日 7時20分

 宇治知英・イオンリテール執行役員南関東カンパニー支社長によると、ボンベルタ成田は最盛期「北側は川を渡って茨城県南部、東側は佐原あるいは(50km以上離れた)銚子」という超広域な商圏設定を掲げていたが、商圏設定の根拠に「百貨店という業態」があったという。

 ボンベルタ成田をめぐる一連の試みは、イオンの前身となる呉服店「岡田屋」の社訓「大黒柱に車をつけよ」「タヌキやキツネの出るところ」に通ずるものがあり、同時期に開業したアミューズメント複合商業施設「ジャスコノア店(現イオンノア店)」とともに郊外シフトを体現する施設として、グループの旗艦店としての立ち位置を示した。

●郊外型百貨店の挫折

 イオンは、ジャスコノア店などで培った郊外型ショッピングセンター、ボンベルタ成田で培った郊外型百貨店を発展させるかたちで、自社総合スーパーと百貨店による2核1モール型商業施設の確立をめざすこととなる。

 1994年5月に東北地場大手百貨店「中三」と資本業務提携を締結、1995年にセゾングループ中核企業であった「西武百貨店」と合弁会社を設立するなど、百貨店各社との提携を拡大。1996年4月には宮崎県延岡市の旭化成と地場百貨店連合「YAAC」による百貨店計画を引き継ぐかたちで「ジャスコ」「ボンベルタ橘」を核とする2核1モール型商業施設「延岡ニューシティ」を開業するなど、全国各地に広がりをみせた。

 これらの試みのうち、秋田中三やボンベルタ橘延岡ニューシティは地元との調整や狭小な売り場面積を背景に、高級衣料装飾品といった非食品分野に特化した店舗づくりを余儀なくされたこと、西武百貨店との提携も同社経営再建による新店への投資抑制やイオンと競合関係にあるセブン&アイHDとの接近で愛知県岡崎市の1店舗にとどまるなど、いずれも不発に終わった。

 その後もイオン系不動産ディベロッパー「ダイヤモンドシティ(現イオンモール)」が、三越との業務提携や新日鉄・阪急系再開発計画を引き継ぐかたちで、2核1モール型商業施設の多店舗化を試みるが、百貨店運営会社の再編や都心旗艦店への経営資源集中、売り場の魅力不足、リーマン・ショック――といった経営環境の変化が災いとなり、短期間で姿を消した。また、ボンベルタ各店舗に関しても店舗老朽化や自社系施設間競合により、成田1店舗を残すのみとなった。

 一見失敗のようにみえるイオンによる百貨店への挑戦であるが、イオン系商業施設は着々と百貨店に代わる「ハレの日」に相応しい存在として進化を続けていた。

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