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[Japan In-depth 編集部]【募る危機感、減る一方の被爆一世】~刻め、過去の悲惨な教訓~

Japan In-depth / 2015年8月14日 19時5分

[Japan In-depth 編集部]【募る危機感、減る一方の被爆一世】~刻め、過去の悲惨な教訓~

8月6日、広島市の平和公園には、夜が明ける前から人々が集まり、原爆死没者の名簿が収められた慰霊碑に手を合わせた。「毎年欠かさず来ている。」「70年という節目にどうしても来たかった。」思いはそれぞれだ。被爆から70年が経過し、やって来る遺族や被爆者の手には杖が目立つ。今年、被爆者の平均年齢は80歳を超えた。

70年経った今も、あの日の光景を忘れることの出来ないという被爆者は少なくない。過酷な状況を生き延びたとしても、後悔や苦悩、様々な思いが生涯付きまとう。家族や近所の人の「助けて」という声に応えられなかった・・・。全身を焼かれ、喉の渇きを訴える被爆者の「水をください」という願いを叶えられなかった・・・。辛い表情でこんなことを語る人もいる。「劫火が迫る中、横たわる死体をまたいで逃げた。」中には、焼けて垂れ下がった遺体の皮膚を避けきれず、「踏みつけて逃げた」と告白する人もいる。



そして更に、想像を絶する状況があった。ある元軍人の男性は、被爆直後の街で体の半分が焼け、瀕死の状態の男性に出会った。苦しむこの男性は、「軍人さん、楽にさせてください」と懇願したという。到底、助かる見込みはなく、手を掛けるしかなかった。極限の中で人々が直面したあまりにも悲惨で悲しい現実。これが、一発で一つの街を壊滅させた原爆の惨状だ。

原爆を投下したアメリカには、投下を正当化する声が根強くある。原爆投下が戦争を終結させ、その先に奪われたかもしれない多くの命を救ったというのだ。しかし、奪われたかもしれない命を考える前に、実際に広島・長崎で数多の命がどんな風に奪われたのか、きちんと向き合わなければならないはずだ。核兵器廃絶への道筋が不透明な今、原爆は人類が使用することが許される兵器だったのか、「人道的」な観点から今一度考える必要があるのではないか。

原爆による被害は、熱線や爆風による爆発的なものだけではない。後から広島市内に入った人々も残留放射能の影響を受け、次々に倒れた。いわゆる原爆症の問題だ。髪の毛が抜けたり、歯茎から血が出たり、体に紫斑が出たりといった放射線による急性症状をそれとは知らず、人々は恐れ、被爆者への差別にもつながった。

更に、次の世代への影響も無視することは出来ない。被爆から数年経って子どもを産んだ女性に聞いた話がある。女性の子どもは生後まもなく亡くなったが、その時体には被爆直後に女性の体に出たのと同じような紫斑が出ていた。当時、病院に連れて行くと「これは原爆病だ」と言われたという。

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