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「勝つのが仕事」先駆者が語る(下)プロ野球選手のセカンドキャリア その5

Japan In-depth / 2016年2月18日 18時0分

(文中敬称略。「勝つのが仕事」先駆者が語る(上)プロ野球選手のセカンドキャリア その5 の続き。全2回)

 

<阿野鉱二氏 経歴>
大阪・明星高等学校で、1963年夏の甲子園に全国制覇、翌年連続出場。1966年4月に早大進学。東京六大学リーグで2度の優勝。同期の小坂敏彦投手とバッテリーを組み、68年秋季リーグ優勝。自身も首位打者となりベストナインに選出。リーグ通算57試合出場し184打数52安打、8本塁打、24打点、打率.283。同期に谷沢健一、荒川尭らがおり、自身も含め7人がプロ入り。69年のドラフト2位で指名され、巨人入団。71年には一軍で49試合に出場。森昌彦の後継を吉田孝司と争うが、75年の巨人ベロビーチキャンプで重度の腹膜炎を起こし、76年にオフに現役引退。引退後は巨人バッテリー兼トレーニングコーチに就任、85年よりトレーニングコーチ、1991年退団。現在は建設業スチールエンジ株式会社相談役。ビーアーム株式会社取締役会長。「巨人軍のストレッチング」(ベースボールマガジン社)、「勝つのが仕事!」(風人社)を出版。トレーニングコーチの草分け的存在。

トップ画像:オフィスにもバットや、記念写真がズラリ。手にするバットには長嶋茂雄の文字が。宮崎キャンプでも長嶋氏に会って来たばかりだ。©神津伸子

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