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多様性の中の統一 インドネシア独立記念日に思う

Japan In-depth / 2016年8月24日 19時30分

スカルノ大統領の長女、メガワティ元大統領は「年号は戦争に負けた日本の協力を得るための方便だった。年号よりとにかく独立を宣言することが最優先だった」と筆者に明言したことがある。「05」という年号が皇紀であることになんらかの意義を見出そうとすることはインドネシア人にはほとんど意味がない、という指摘だ。もっとも彼らは「はい、日本のお蔭で独立できました」と相手をみて揉み手をするぐらいのしたたかさは身に付けているが。

「右向け右」という声をかければ右を向かないものが差別や仲間外れにされ兼ねない今の日本。その声が大きいあるいは威圧的であればなおさらだろう。それは日本が「みんな同じ」社会であり、「多様性の中の統一」と多様性を認めるインドネシア社会が「右向け右」と声をかければ、右、左、無視、反発と多種多様な反応がある「みんな違う」社会であることに由来するといえる。

そういう国、インドネシアをまとめていくことの難しさは並大抵ではなく、大統領の職務の困難さは想像を絶する、と思いがちだが、そうでもないらしい。メガワティ元大統領はかつて「なんとかなるというか、なるようにしかならない。大統領はそれを知ることが肝要」と笑いながら話してくれたことがある。なんと魅力的な国ではないか、と筆者は思う。インドネシアにあれこれ思いを寄せながら、独立記念日を過ごした。

*トップ画像:スカルノ初代大統領(左)とハッタ初代副大統領(右)、その間に独立宣言文が印刷された10万ルピア©大塚智彦

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