微笑みの国で贖罪と慰霊 クワイ河に虹をかけた男
Japan In-depth / 2016年9月11日 18時0分
大塚智彦(Pan Asia News 記者)
「大塚智彦の東南アジア万華鏡」
8月27日から9月16日まで東京都中野区の「ポレポレ東中野」でドキュメンタリー映画「クワイ河に虹をかけた男」が上映されている。舞台がタイのカンチャナブリということで懐かしさもあり、駆け付けて約2時間スクリーンに見入った。
このドキュメンタリー映画は瀬戸内放送の満田康弘記者が監督となって太平洋戦争中、日本陸軍通訳としてタイで鉄道建設の拠点となったカンチャナブリの憲兵分隊に勤務した岡山県倉敷市在住の永瀬隆氏を1994年から約20年、カメラで丹念に追い続けた記録である。
映画「戦場にかける橋」(1957年)「レイルウェイ運命の旅路」(2013年)などで知られるカンチャナブリには、当時タイ・バンコクからビルマ・タンピュザヤまでを結んでいた泰緬鉄道のシンボルでもあるクワイ河鉄橋が残されており、現在は観光地としてにぎわっている。
1942年7月からわずか1年3カ月で総延長415キロの鉄道を開通させた突貫工事には、イギリス、オーストラリア、オランダなど連合軍の捕虜約6万人、インドネシアやマレーシアなどから動員された東南アジア人労働者約25万人が従事。食糧、医薬品が極端に欠乏する中、炎暑、伝染病蔓延という過酷・悲惨な環境に置かれた結果、捕虜約1万3000人、労働者数万人が命を落とし、「死の鉄道」とも呼ばれた。
■生涯かけた「贖罪、慰霊」を決意
終戦間もない1945年9月、鉄道建設で死亡し、沿線に仮埋葬されていた犠牲者を捜索する連合軍の「墓地捜索隊」に当時を知る日本人通訳として同行したことが永瀬氏を「生涯かけた犠牲者の慰霊」へと突き動かす。
「線路に沿って墓地を捜索した時に終わりごろになって、あまりにも日本軍のやっていることがひどいので、このままにしておくことはできないと思って自分はジャングルの中に立って『必ずここに来ます』と自分自身に約束しました。慰霊をして無残に死んだ人たちを慰めなきゃならないと思いましたからね」(永瀬氏の言葉)。
その後復員、海外渡航の自由化を待って1964年のタイ初渡航以来、永瀬氏は2011年に亡くなるまで実に135回もタイを訪問した。私財をなげうっての度重なる慰霊訪問、それは巡礼の旅でもあった。
妻佳子さんと二人三脚でのタイ巡礼を通じて永瀬氏は、犠牲となった連合国軍の捕虜、アジア人労働者の慰霊とともに生存する捕虜との和解、インドネシア人やマレーシア人で戦後帰国できなかった労働者の支援、帰郷援助などを続けた。
この記事に関連するニュース
-
旧日本兵の遺骨、バングラデシュから帰国へ
AFPBB News / 2024年11月26日 11時48分
-
被爆米兵調査の森重昭さん(87) 兵庫県の小学生に伝えた思い
広島テレビ ニュース / 2024年11月22日 18時59分
-
「シベリアの悲劇を決して忘れじ」 戦争犠牲者慰霊の旅を続け約35年、日ロ平和を願った抑留経験者の僧侶
47NEWS / 2024年11月19日 10時0分
-
台湾の浜辺に眠る数千の戦没者 「祖国へ帰還」目指し発掘調査へ 慰霊祭に90人
産経ニュース / 2024年11月17日 16時31分
-
日本軍は捕虜に過酷な生活を強いた。資料は終戦直後に焼却。「ふたをされた負の歴史」を掘り起こした女性に聞く【つたえる 終戦79年】
47NEWS / 2024年11月3日 10時0分
ランキング
-
1【速報】韓国外務省が「日本が見せた態度」への遺憾を日本大使館に伝える 「佐渡島の金山」の追悼式に不参加
TBS NEWS DIG Powered by JNN / 2024年11月26日 15時4分
-
2政府が政労使会議開催、石破首相「今年の勢いで大幅な賃上げを」
ロイター / 2024年11月26日 13時46分
-
3トランプ2.0、強気の「MAGA」が逆目に出る時
ニューズウィーク日本版 / 2024年11月26日 14時0分
-
4仏英、ウクライナへの部隊派遣を検討か トランプ米政権視野に浮上 仏紙報道
産経ニュース / 2024年11月26日 10時39分
-
5エジプト紅海でダイビング船沈没、外国人観光客ら16人不明
ロイター / 2024年11月26日 10時30分
複数ページをまたぐ記事です
記事の最終ページでミッション達成してください