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微笑みの国で贖罪と慰霊 クワイ河に虹をかけた男

Japan In-depth / 2016年9月11日 18時0分

さらにタイ人留学生の受け入れ、「クワイ河平和基金」設立によるタイ人子女への奨学金贈呈、進学支援などを死ぬまで継続した。これは終戦後にビルマ戦線などからタイに帰還して武装解除、復員を待っていた約12万人の日本軍兵士に「飯盒1杯の米と中蓋1杯のザラメ砂糖」を連合国側に内密で配給してくれたというタイ政府、タイ国民への「恩返し」だという。

「自分の国をほとんど占領同様に来た兵隊たちが敗れて帰る時にその兵隊たちが腹がへるだろうとそこまで心配してくれているんですよ。僕はこんな国はないと思うんですよ」(永瀬氏の言葉)

あまり知られていないが、1941年12月8日、太平洋戦争開戦のその日マレー半島攻略のためタイ南部に上陸した日本軍はタイ領内を無害通過する予定だったが連絡不徹底や通信機器不具合などからタイ軍と交戦となり、タイ側に犠牲者がでている。そうした過去、経緯がありながらも「敗軍の兵」に暖かい配慮を示したのがタイの人々だった。

■カンチャナブリは「祈りと感謝」の場

映画の冒頭、鉄道建設作業中に死亡した元捕虜約7000人が埋葬されているカンチャナブリの連合軍共同墓地で出会った英国人元捕虜に永瀬氏は「私たちがしたことをおわびします」と切り出す。「謝罪は読んで知っています。それで充分です。日本人で握手できるのはあなただけです」と話す英国人元捕虜と握手し抱擁する。そして戦時中、通訳として立ち会っていた憲兵隊で拷問を受けていた捕虜と戦後に文通を始め、再会を果たし、最後には和解する。

「日本の政府は戦後の処理をあまりにもなおざりにしている。だから、日本の兵隊さんの遺骨でもほっておくような国柄でしょ」「私はこういう遺骨の問題というのは勝ち負けじゃないと思うんだな。日本は負けたことをいいことにして何にもしないんだ。だから結局本当に負けてるんだ」(永瀬氏の言葉)

カンチャナブリのクワイ河鉄橋周辺は戦後、タイによって整備され、泰緬鉄道博物館、第2次世界大戦博物館、JEATH戦争博物館、当時実際に使用された蒸気機関車や車両などが展示されており、歴史を学ぶと同時に連合軍共同墓地、チェンカイ共同墓地、日本軍建立慰霊碑などで犠牲者の冥福を祈る場ともなっている。

今そこには1986年に永瀬氏が建立したタイ式のクワイ河平和寺院が立ち、2006年に永瀬氏を慕う留学生や奨学生が感謝を込めて製作した永瀬氏の銅像も加わり、新たな祈りと感謝の場となっている。

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