「私にとって台湾は一番目がない二番目の故郷みたいなものです」 失われた故郷「台湾」を求める日本人達 湾生シリーズ2 竹中信子さん
Japan In-depth / 2016年11月22日 18時0分
祖父は没落氏族で好奇心が強い人でした。商売でいろいろ失敗してあちこち歩いているうちに、台湾で成功しました。炭酸泉からつくるサイダーはハイカラの飲み物でした。かつて、レモネードをペリー総督が日本人に振る舞ったこともありましたね。兵隊さんたちはサイダーを飲んですごく喜んで、彼らはあちこち行き来するので、私たちの「広告塔」になってくれました。このほか、祖父は蘇澳で旅館「蘇澳館」と雑貨屋を経営し、蘇澳に定住した最初の日本人になりました。工場をつくって、ラムネも売りました。
でも祖父は質実剛健な人でもあり、生活は武士の生活そのままで無駄遣いさせてくれなかった。小さいころから学問が大切だと言い聞かせられ、男も女も区別しなかった。工場の名前は「竹中天然炭酸水工場」です。資本金500円。販売先は台北がいちばん多く、地元もあった。
沖縄出身の祖母もやり手で、英語もフランス語もネイティブ並みに話せて、語学に才能があって瞬く間に台湾語も覚えたそうです。終戦のとき、工場で働いている人に経営を譲りました。引揚後はさらに繁盛したらしいです。
野嶋:日本への引き揚げのとき、竹中さんは何を感じていましたか。
竹中:私は帰りたくなかった。動物が大好きで、犬や猫がかわいがっていましたから。別れが堪え難く、この子たちを置いて帰れないと思った。特に帰る先もなくて、ほかの日本人が残れるなら残ってもよかったのですが、引き揚げ命令がきたので、やむなく帰国しましたが、家族中で泣きはらしました。
野嶋:その後、台湾にはどのぐらい通っているのでしょうか。
竹中:たぶん40回を超えていますね。もう途中から数えなくなった。最初は勉強のために行ったのです。戦後の日本では台湾を植民地にして搾取したと教えていたので、本当にそうだったのか、台湾の歴史を調べようと思いました。母のことを記録に残したいとも思い、日本統治時代に台湾にいた女性のことを調べて、女性史を書くことにしました。自分は音楽教室をやっていて自立していたので、毎年8月に3週間、お休みにして、台北で文献を調べていました。当時の日本語文献です。その作業を始めたのは55歳です。
野嶋:日本の台湾統治について、どう思っていますか。
竹中:植民地であろうとなかろうと、世界史の大きな流れを人間がひっくり返せるほど力はなく、歴史という大河の大きな流れで生きる以外にありません。そのなかで台湾は日本の植民地になるべくしてなりました。当時の人たちは帝国主義的な考え方から植民地を持とうと考えました。現在からみれば間違った考え方です。自分たちが利益を得るために利用し、弾圧もあり、搾取もあり、悪い事をする人もいます。
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