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「できれば最後は花蓮で逝きたい」失われた故郷「台湾」を求める日本人達 湾生シリーズ3 清水一也さん

Japan In-depth / 2016年11月23日 18時0分

台湾は訪ねるたびに新しい事実がどんどん出てくるのです。私の戸籍や叔父・叔母の戸籍、そこに記載されている人たちの流れがよくわかりました。日本の戸籍では、そこまで詳しく書いていませんが、台湾では戦前すべての家族・親戚関係が書き込まれています。それが台湾各地の「戸政事務所」という行政機関にいまも保管されているのです。現在の花蓮の日本人会の会長さんなどにサポートしてもらい、事務所に通っているうちに馴染みになるので、すぐにいろんな方のものを出してくれる。そうこうしているうちに、私たちが日本に引揚げて当然親しい親戚だと思っていた人が実は親戚じゃなかったとかも分かったりしました(笑)。

野嶋:当時の台湾は日本に比べても豊かだったのでしょうか。

清水:台湾での給料は教員も公務員も手当が内地の約1.6倍でした。それは確かに大きな魅力だったようです。また、私たちのような吉野村開拓民が台湾でそれなりに豊かになったのは昭和78年ぐらいからでしょか。烏山頭ダムの機材が払い下げられたお蔭で、インフラや灌漑が整備され、生産が増大しそれまで背負っていた負債を返済し、だんだん余裕が生まれてきたそうです。

野嶋:ちょうどこれから、という時に台湾での生活が打ち切られてしまった、というわけですね。清水さんにとって、花蓮という土地、台湾という土地はどんな意味を持っていますか。

清水:やっぱり私たちの故郷です。できれば長く滞在したいと思います。永住は難しくても、ロングステイはしたい。私はいま73歳。台湾ではこの吉野村がナンバーワンです。

現地に日本人のシェアハウスみたいなのがあればいいなあとも思います。夏は暑いし、住んだら大変かも知れないが、やっぱり、できれば最後まで花蓮で、と思うようになっていますね。

(このシリーズ了。全3回。シリーズ1、シリーズ2)

台湾ドキュメンタリー映画「湾生回家(わんせいかいか)」監督:ホァン・ミンチェン が11月12日より東京・岩波ホールで日本公開。

トップ画像:清水一也さん©野嶋剛

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