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日米繊維交渉“善処します”誤訳伝説 その4

Japan In-depth / 2017年9月3日 19時35分

日米繊維交渉“善処します”誤訳伝説 その4

檜誠司(ジャーナリスト、英日翻訳・研究家)

【まとめ】

・繊維交渉の失敗は日米首脳会談における佐藤首相の発言の訳語の良し悪しとは全く無関係。

・「善処します」誤訳伝説は、沖縄返還交渉という歴史的な舞台設定がある上、佐藤・ニクソンという役者も揃っていたことで生まれた。

・繊維交渉で日本側はもともと不利な状況にあった。通訳の腕によって対米姿勢の弱みを補える余裕はなかった。

 

別の米側の公文書によれば、親書を手渡した後、マイヤー駐日大使は佐藤と会談するが、佐藤は大統領の立場を支持するために「最善の努力を尽くす(原文は make best effort )」ので大統領は安心されるよう希望すると語った。

佐藤は1969年11月のニクソンとの首脳会談で繊維問題をめぐり使った「最善をつくす」に酷似する表現をあらためて用いたが、今回は、マイヤーが “best” とは業界の自主規制案の管理を意味あるものにする決意であると表明することだろうと提案し、佐藤を諫めるような発言を行った。

その年の夏に日本は2つの「ニクソンショック」に見舞われる。最初のニクソンショックは7月15日に発表された「米中接近」である。ニクソンが緊急演説で、キッシンジャーが北京を訪問し周恩来総理ら中国側との間で、翌年の1972年5月までにニクソンが訪中することで合意したと発表したのだ。

▲写真 中国周恩来総理と会談する米キッシンジャー国務長官 出典:White House Photo by Encyclopedia Britannica

もう1つの「ニクソンショック」は8月15日の「新経済政策」の発表だった。ドルの金との交換停止、輸入課徴金の導入など、日本経済を狙い撃ちにしたものだった。

2つの「ニクソンショック」は繊維交渉決裂から米国が報復措置として取ったとも言われるが、確固たる証拠はない。だが、「新経済政策」については、キッシンジャーは「繊維紛争は、1971年8月15日にニクソンが発表した新経済政策にからみ合ってしまった。これが1971年の(私の北京隠密外交に次ぐ)第二の『ニクソン・ショック』だが、これには、それまでの日米交渉失敗の産物という面もかなりあったのである」と回想している。

加えて近年の研究で、日米繊維交渉と関係して沖縄県の一部である尖閣諸島の日本への施政権返還を留保することが米政府で検討されていたことが分かってきた。

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