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歴史は語る 福島・医師不足のわけ

Japan In-depth / 2017年10月6日 12時0分

 

さらに中国、四国、九州は全ての県に国立の医学部があるが、首都圏では埼玉県、神奈川県に国立の医学部はない。首都圏の21の医学部のうち、国立はわずかに3つだ。

 

福島県の医学部も県立だし、東北地方では岩手県にも国立の医学部がない。国立大学には、国民の税金が投入される。随分と不平等な話だ。なぜ、こんなことになるのだろうか。

 

■歴史的背景から影響を受ける医学部の分布

 

繰り返すが、私は戊辰戦争の後遺症だと考えている。医学部に限らず、我が国の名門大学の多くは、戦前に設立された。医学部の場合、戦前に17の医学部が存在した。7つの帝国大学、6つの官立医科大学、1つの公立医科大学(京都)、3つの私立大学だ。

 

注目すべきは、多くが江戸時代の藩の医学校から発展していることだ。東京大学は江戸幕府の医学所、九州大学は福岡藩の賛生館という具合だ。幕末、西洋列強の侵略を怖れた幕府や諸藩は藩校を整備し、蘭学を学ばせた。その中心が医学だった。

 

福島も状況は変わらない。会津藩には日新館、二本松藩は敬学館があり、医学教育を行っていた。戊辰戦争で日新館は消失。明治時代の廃藩置県で、残った医学校は県に移管された。明治17年の段階で、日本には東京大学医学部と28の公立医学校、3つの私立医学校があり、東北地方にも宮城県、岩手県、秋田県、福島県に医学校が存在した。ところが、宮城県を残し、他は廃校となった。福島医学校も明治20年に廃止されている。

 

西日本の状況は違う。長崎と福岡の医学校は存続され、後に大学へと改組された。熊本県医学校は明治20年に廃校となったが、その後、復活。官立熊本医科大学となる。九州だけで、戦前に3つの官立医学部が存在した。

 

この時期、医学部があったのは、関東地方は東京大学と千葉大学、東北地方は東北大学、甲信越地方は新潟大学だけだ。あまりに大きな東西格差と言わざるを得ない。

 

医学部新設には金がかかり、政治的な重要課題となる。戊辰戦争をリードしたのは薩長土肥の西国四藩だ。鳥羽伏見の戦い以降、多くの西国の藩は雪崩をうって官軍に与した。最後まで抵抗を続けた東北諸藩とは対照的だ。明治時代、薩長をはじめとした西日本勢は政治的に優位な立場にいたのだ。

 

余談だが、いまでもその傾向は変わらない。総理、副総理、東京都知事、神奈川県知事、埼玉県知事、みな西日本出身者だ。

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