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巧妙化する朝鮮総連のメディア工作(上)

Japan In-depth / 2017年10月7日 18時0分

 

■北朝鮮取材をエサにしたテレビ統制

2011年12月に金正日総書記が死亡し金正恩時代に入った後、日本のテレビ各局に対する朝鮮総連を通じた統制が新たな局面を迎えることになる。金正恩政権のメディア戦略が強化され、各国メデイアに対して「見せたいところを積極的に見せる」方向に転換されたからである。

金正日時代には一時朝鮮総連を通じたメディア統制が弱まっていた。その背景には朝銀破綻や拉致問題の影響などによる朝鮮総連の影響力低下と、韓国における宥和政権誕生があった。金正日政権は宣伝面で以前ほど、朝鮮総連を重要視しなくなっていたのだ。

しかし、2012年4月に金正恩氏が第一書記になった時から事態は変化した。韓国の保守政権が宥和的でなくなり、もう一度、朝鮮総連の日本におけるプロパガンダ遂行の位置付けを重視し始めた。こうして朝鮮総連は以前にはなかった映像使用と北朝鮮取材という武器を手にしてテレビメディアへの圧力を強めていくことになる。

その第一弾が2012年4月の金日成誕生100周年行事であった。金正恩はこの行事の目玉であった光明星3号1号機発射をメデイアに公開するとした。発射失敗で所期の宣伝効果を得ることができなかったが、今後のメデイア戦略を予告するものであった。

この時に日本のテレビ各社も招待されたが、それまでにはない取材格付けがなされたのである。すなわちテレビ各社の「忠誠度(北朝鮮に都合のよい報道を行う度数)」によって差別化されることになる。

北朝鮮は長距離弾道ミサイル発射施設を、発射前にAP通信などのアメリカメディアと日本の一部のメディアに公開したのだが、日本のテレビ局で取材することができたのは、平壌に支局がある共同通信やNHKなどだった。また北京の北朝鮮大使館でのビザ発給でも差別化を図り、「忠誠度」の高いテレビ局から順番にビザが発給された。

なぜこのような変化が起こったのか? そこには日本のメデイアに対する管括権の移動が関係していたのだ。

金正恩時代以前までは北朝鮮取材の強化は北朝鮮本国と朝鮮総連の二本立てであった。そのために朝鮮総連はテレビメディアを効果的にコントロールできなかった。

そこで朝鮮総連は金正恩時代に入ってのメデイア戦略の変更に合わせて本国担当者に対し、「日本のメディアなら、なぜ、大使館業務を行う窓口である朝鮮総連を通さないのか」と訴えたのだ。そして朝鮮総連に窓口が一本化され、そこからの収入は一部本国に上納されるものの大部分が朝鮮総連の財源となった。

こうしたなかで、日本テレビメディアの北朝鮮取材は大幅に増やされた。各種記念行事の取材だけでなく、拉致問題交渉過程での取材、北朝鮮に残された遺骨収集に対する取材など北朝鮮は取材の門戸を広げ、日本のテレビ各社を競わせた。

この過程で朝鮮総連のテレビ各社に対する干渉は、強化拡大。報道の方向だけでなく、コメンテーターの人選や外信部の人事にまで口を挟むようになった。この時に使われた殺し文句は、「映像の使用許可と北朝鮮取材を止めるぞ」だった。

北朝鮮報道は情報番組などでは比較的高い視聴率を得ていたので、テレビ各社は朝鮮総連の圧力に次々と屈していった。最後まで抵抗していたフジテレビまでも北朝鮮取材から外される圧力に抗しきれずついに屈した。朝鮮総連が排除を求めるコメンテーターを排除することで北朝鮮取材にありついたのである。

 

(下に続く。全2回)

トップ画像: 朝鮮総連本部 出典)Wikipedia

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