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北朝鮮の微笑工作 振り返れ「帰国運動」の悲劇

Japan In-depth / 2018年1月22日 11時26分

写真)寺尾五郎著 「38度線の北」表紙
出展)Amazon

写真)北朝鮮帰国事業「壮大な拉致」か「追放」か(中公新書)新書
2009年11月26日 菊池嘉晃(著)
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礼賛本の1つにくくられる同書だが、決して一本調子の記述ではない。「消費生活のいわゆる『文化性』などはおよそゼロである」「たしかに、朝鮮の生活は低いし経済はおくれているし、お義理にもモダンな社会とはいえない」などとマイナス面を指摘した上で、その「低くおくれているといわれる朝鮮が急激に変わってきた。……大変な勢いで疾走を始めている」などと希望を掻き立てる記述を続けるのである。そのため、「どうせ苦労するなら北で」という気分にうまく訴えたという。

 

もっとも、在日朝鮮人たちが単純に「理想の国作りに参加を」という偽計に引っ掛かったわけではない。まず、約60万人いた在日朝鮮人の内、8割以上は日本にとどまっている。北朝鮮行きを選択した人々においては、次のような複合的事情があったと言われる。

 

まず、帰国事業開始当初、在日朝鮮人の4割前後が生活保護受給者、すなわち「無職」であった。日本にいても職に就ける展望がないことが、渡航を後押しした大きな理由だったろう(なお、数年後には、北朝鮮当局は、一般人より科学者・技術者などを優先帰国させるよう総連に指示を出している)。

 

17歳で北に渡り、その後脱出に成功した鄭箕海は、父母の懇願に負けていやいや帰国船に乗ったが、編物学校やパチンコ事業などで一応生計の立っていた長兄の家族は日本に残ったと記している(鄭箕海『帰国船』文春文庫)。

写真)鄭箕海著「帰国船」文春文庫
出典)Amazon

 

 金日成は、職と衣食住、無償医療その他の社会保障および子供の教育機会を繰り返し保証した。誇張はあってもまさか全面的にウソではないだろうと考えた人々の甘さを責めるわけにはいかない。

 

 なお、在日朝鮮人のほとんどは半島南部の出身であった。北は厳密には「故郷」ではない。しかし、韓国の李承晩政権がデモの嵐で倒された(1960年4月)こともあり、遠からず南北が社会主義体制のもとで統一される、いち早く北で足場を築いておけば指導的立場で南入りできると計算した人々もいたらしい。

写真)第1-3代 大韓民国大統領 李承晩氏
出典)パブリックドメイン

写真)韓国の李承晩政権に対するデモ 1960年4月19日
出典)パブリックドメイン 전체

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