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イスラム社会の目に映った日本 イスラム脅威論の虚構 その3

Japan In-depth / 2018年2月18日 14時55分

話を戻して、日本が再びイスラム世界から注目されるのは、20世紀初頭のことである。

これまた前にも述べたように、18世紀から19世紀にかけて、イスラム世界は西欧列強の侵略を受け、多くの国が植民地支配に甘んじるまでになった。そんな当時、東洋の島国が「文明開化」を成し遂げ、ついにはロシアの大艦隊を対馬沖に屠って凱歌をあげた。1905年5月末のことである。

今もイスタンブールには「トーゴー通り」があるが、これはツシマ(=日本海海戦)の立役者である連合艦隊司令長官・東郷平八郎を記念した命名だ。北方のロシアから圧迫を受けていたトルコの人々が、日本がロシアに勝ったことでいかに溜飲を下げたか、想像がつこうというものだ。

▲絵 連合艦隊旗艦三笠の艦橋で指揮をとる東郷平八郎 1905年 出典:パブリックドメイン

よく知られる通り、1917年にロシア革命が起き、日本は反革命戦争をもくろんでシベリアに出兵したが、その混乱のさなか、赤軍による支配を恐れたカザフスタンのイスラム系住民が日本軍に保護を求め、最終的には日本に集団亡命してきた。これが、まとまった数のイスラム系移民が日本にやってきた最初の事例である。

正確な人数は分かっていない。なぜならば当時、ソヴィエト革命政府を支持できないとして国外に逃れた人はかなり多く、とりわけ国籍や宗教に対して大雑把な考え方をする島国の日本では、ポーランド系であろうがカザフスタン系であろうが、ひとまとめに「白系ロシア人」とカウントしていたからだ。

いずれにせよ、イスラム系の人々が、イスラム系であるという理由でもって迫害を受けたことは、過去の日本においてはなく、彼らが歴史的に抱いてきた日本のイメージも、古代にあっては黄金郷、近代にあっては、非白人国家で唯一、列強の地位を得た国なのである。

現在でも、日本国内のイスラム系コミュニティーは、少なくとも西欧キリスト教社会に暮らす人々との比較で言えば、政治的にも経済的にも安定している。したがって、イスラム系移民の若者がテロに走る可能性は低いが、将来のことは分からない。くれぐれも特定の民族や宗教を偏見の目で見ないようにしたいものだ。

これは、決してイスラム系移民だけの問題ではない。「黄金の国ジパング」や「ワークワークの島」の伝承とは裏腹に、今の現実の日本は、資源のない島国であり、また世界史的にも類例のない少子高齢化社会となっている。

そのような日本が、21世紀以降も生き残ってゆくためには、日本で働いて生活したいと考える人たちに対して、寛大な社会を築く一方、高い教育水準を保たねばならない。その試金石のひとつが、イスラム系の人々とのつきあい方ということになるだろう。

 トップ画像:図)Map of America by Sebastian Munster ジパングが描かれている世界地図 1561年 出典  Sebastian Munster

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