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差別が過激思想の温床となる イスラム脅威論の虚構 その4

Japan In-depth / 2018年2月25日 13時56分

差別が過激思想の温床となる イスラム脅威論の虚構 その4

 

林信吾(作家・ジャーナリスト)

林信吾の「西方見聞録」

【まとめ】

・モハメド・アリはブラック・ムスリム運動に傾倒し、ムスリム名を名乗った。

・この運動は1960年代後半から影響力を失っていった。

・差別構造を廃すことが過激思想の蔓延に対する最良の抑止力。

(この記事には複数の写真、動画が含まれています。サイトによって見れないことがあります。その場合はhttp://japan-indepth.jp/?p=38611で記事をお読みください)

 

モハメド・アリというボクサーは、死後3年も経たぬうちに(2016年6月3日没)、伝説の人となった観がある。特に有名なのは、現役時代、自らのボクシング・スタイルを「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と自画自賛していたことだが、たしかに、重量感あふれる肉体から繰り出されるパンチの威力にのみ勝機を求めていたヘビー級のボクシングにあって、華麗なフットワークで相手を翻弄し、左ジャブを多用するスタイルを持ち込んだことは、革命的との評価にも値する。

 

ただしこれは、彼がヘビー級ボクサーとしては体格に恵まれていない(1960年ローマ五輪で金メダルを獲得した時は、ライトヘビー級であった)ことから、いわば苦肉の策として編み出されたものらしい。

 

写真)モハメド・アリ 右から2番目(1960年ローマオリンピック)

出典)photo by Polish Press Agency

 

本稿のテーマは、もちろんボクシングではない。年配の読者は、彼の生来の名前はカシアス・クレイで、プロ転向直後はその名前でリングに上がっていたことをご記憶のことと思う。

 

しかし、1964年にネーション・オブ・イスラムに入信したのを機に、ムハンマド・アリーというムスリム名を名乗るようになった。この英語訛りがモハメド・アリなのだが、日本ではあらゆるメディアでこの呼び方が定着しているので、本稿もそれに倣う。

 

オスマン帝国の将軍にして宗教指導者でもあり、19世紀初頭、エジプトにムハンマド・アリー朝を開いた人物と、インド独立運動にも大きな影響を与えたムスリム連盟の創始者で、独立パキスタンの初代総督となった人物が、いずれも同姓同名なので、どちらかにあやかったものと考えられているが、当人は詳細まで語ってはいないようだ。

 

写真)ムスリム連盟の創始者で、独立パキスタンの初代総督

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