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迷走病を根治せよ サッカー日本代表のカルテ その2

Japan In-depth / 2018年4月29日 7時0分

例によって、少々余談を。

もともとサッカー発祥の地であるイングランドでは、原則として手を使わないアソシエーション・フットボールと、手を使えるラグビー・フットボールが並行して発達した。もちろん前者がサッカーの原型で、アソシエーションの口語的略語型から、サッカーという単語が生まれたのだ。

しかし現在の英国及びヨーロッパ諸国では、フットボールと言えばサッカーと決まっているため、逆にサッカーとは呼ばなくなっている。サッカーという単語をもっぱら用いているのは、日本と米国くらいなもので、米国の場合は、防具を着けて行う独自の「アメリカン・フットボール」が定着しているという事情があり、日本の場合は、明治時代に「ア式蹴球」として採り入れた経緯から(ラグビーは「闘球」と訳された)、サッカーという呼び方が定着したのだと言われている。

本稿では、日本の読者の便益を第一に考えて、なんとかフットボールという固有名詞以外は「サッカー」で統一させていただくが、ここで話を戻して、前述の「マシン」と「シャンパン」の対比からだけでも、国によって異なるサッカーのスタイルというものがあり、どういうスタイルが好まれるかは、国民性とからんで語られることが多い、という点は、ご理解いただけたことと思う。

ここで、アジアに目を向けねばならないが、前回、Jリーグが旗揚げされた当初の日本代表は「韓国と当たったらおしまい」というコンプレックスにとりつかれていた、という話をした。

具体的にどういうことかと言うと、朝鮮戦争が一時終結し、南北の分断が確定した1960年代以降、韓国はドイツ・サッカーを徹底的にコピーすることで強くなり、東アジアで覇をとなえるまでになった。ヨーロッパや南米とは実力的に相当な差があったが、独自のスタイルさえ持たなかった日本は、まるで歯が立たなかったのだ。

そのような日本代表に、パス・サッカーの基礎をたたき込んだのがハンス・オフト監督であったことは、やはり前回述べた通りである。

ところが、ドーハの悲劇でワールドカップ初出場の夢が破れた途端、協会はヨーロッパ式のパス・サッカーに早々と見切りをつけてしまう。今度は南米式で行ってみようとばかりに、元ブラジル代表のロベルト・ファルカンを招聘したのだ。

▲写真 ロベルト・ファルカン 出典 @PR_Falcao

しかし、就任後のアジア大会で「ベスト4もしくは韓国を上回る成績」というノルマを果たすことができず、半年足らずという短命政権に終わってしまう。

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