米国の参戦論と非戦論 昭和の戦争・平成の戦争 その6
Japan In-depth / 2018年9月24日 12時43分
1937年にスイスで生涯を閉じたので、39年に勃発した第2次世界大戦の惨禍と、その影で行われていたナチスによる幾多の残虐行為については、知ることがなかったが、戦後まで生きていたならば、母国フランスの人たちによって厳しく糾弾されたであろう。
前回も述べたが、米国は当初、この戦争に参加することを躊躇していた。と言うより、国内世論は圧倒的に戦争反対であった。第一次世界大戦の経験から、ヨーロッパの問題で米国青年の血が流されることを忌避する声が強かったのだ。
時の大統領フランクリン・ルーズヴェルトでさえ、1940年の大統領選挙を戦った際は、「参戦はしない」との公約を掲げていたほどである。
▲写真 フランクリン・ルーズヴェルト氏 出典:photo by Elias Goldensky
ヨーロッパに派兵すべきではない、という世論の旗振り役の一人として、初の大西洋横断飛行を成し遂げたチャールズ・A・リンドバークの名を挙げることができる。
ルーズヴェルト大統領は、世に言うニューディール政策でもって、1929年以来の大恐慌から、米国経済を立ち直らせていったことで、大衆的人気を得ていたが、それ以上に米国で英雄視されていた人物が、参戦反対を唱えていたのだ。
にも関わらず、ルーズヴェルトの本心は、断固参戦すべし、であった。側近に、「この戦争には、裏口からでも飛び込むべきだ」と漏らしたことがあったとも言われている。
もともと民主党内でもリベラルな立場であった彼は、大のヒトラー嫌いではあったが、より現実的な問題として、ナチス・ドイツが大英帝国を打倒し、日本が東アジアに覇権を確立するのを許したなら、英連邦とアジアという、米国の資本主義にとってきわめて重要な市場が失われかねない。とは言うものの、米国の経済界・産業界がこぞって参戦を支持したわけでもなかった。
一例を挙げれば、自動車王ヘンリー・フォードなどは、最後までナチスとの戦争に不賛成の立場であった。もっとも彼は、第一次世界大戦に際しても、「国家総力戦などというものは、国力の大いなる浪費に他ならない」として戦争反対を主張している。
▲写真 ヘンリー・フォード 出典:photo by Hartsook
1920年代に反ユダヤ主義に傾倒したことは事実だが、これも、ユダヤ人は国境を越えて連帯しつつ、キリスト教文明を破壊して自らが世界の支配階級となることを目指しているのだという、昔からある思想を焼き直したに過ぎない。さらに言えば、彼が反ユダヤ主義的な言論活動を始めたのはヒトラーよりも先であった。
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